翻刻
【右丁】
浅野左京大夫幸長追討の御使を承る殿下徳川殿に仰けるは
幸長猶年わかく侍れは忠勝をもむかはせ給ふへしとあり既に
うち立んとせし所に凶徒おちゆきしかば軍を出すに及す
慶長五年秋東西一時に軍起る忠勝仰を承り井伊直政と
共に御方の大名うち連て美濃国にむかひ軍し九月十五日
の合戦に諸軍を下知して軍させ我身も島津を打破り
軍終て後福島左衛門大夫正則 徳川殿の御陣に参り扨も
今日忠勝御方の多勢を下知して 味かたうたせ左右の手
つかふよりも猶たやすく見えて候あつはれよき大将軍にて
候ものかなと感し申忠勝あざわらひて敵の無碍によはくて
【左丁】
戦ふに堪すこそ候ひつれと式代せり明れは六年二月伊勢国
桑名の城を賜ひ《割書:十万|石》今迄領せし大多喜をは《割書:五万|石》二男忠朝に
賜ふ父子共に去年の勲功の賞とそ聞えたる忠勝十七歳の時
はしめて大小の戦ひ五十七度終に一度も不覚なく又終に
一ヶ所の手を負す身すてにをとろへいたはり覚へけれは同しき
十四年四月所領をは嫡子忠政にゆつり伊勢の国にこもり
ゐて十五年十月十八日六十三歳にて卒しぬ男子二人女子
二人有姉は真田伊豆守信幸妻にて女なれともよき大将にそ
有ける妹は奥平大膳大夫家昌に嫁したり
侍従兼美濃守藤原忠政忠勝か嫡男也天正十八年徳川殿