伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・上) - 翻刻

藩翰譜(四・上) - ページ 30

ページ: 30

翻刻

【右丁】 浅野左京大夫幸長追討の御使を承る殿下徳川殿に仰けるは 幸長猶年わかく侍れは忠勝をもむかはせ給ふへしとあり既に うち立んとせし所に凶徒おちゆきしかば軍を出すに及す 慶長五年秋東西一時に軍起る忠勝仰を承り井伊直政と 共に御方の大名うち連て美濃国にむかひ軍し九月十五日 の合戦に諸軍を下知して軍させ我身も島津を打破り 軍終て後福島左衛門大夫正則 徳川殿の御陣に参り扨も 今日忠勝御方の多勢を下知して 味かたうたせ左右の手 つかふよりも猶たやすく見えて候あつはれよき大将軍にて 候ものかなと感し申忠勝あざわらひて敵の無碍によはくて 【左丁】 戦ふに堪すこそ候ひつれと式代せり明れは六年二月伊勢国 桑名の城を賜ひ《割書:十万|石》今迄領せし大多喜をは《割書:五万|石》二男忠朝に 賜ふ父子共に去年の勲功の賞とそ聞えたる忠勝十七歳の時 はしめて大小の戦ひ五十七度終に一度も不覚なく又終に 一ヶ所の手を負す身すてにをとろへいたはり覚へけれは同しき 十四年四月所領をは嫡子忠政にゆつり伊勢の国にこもり ゐて十五年十月十八日六十三歳にて卒しぬ男子二人女子 二人有姉は真田伊豆守信幸妻にて女なれともよき大将にそ 有ける妹は奥平大膳大夫家昌に嫁したり 侍従兼美濃守藤原忠政忠勝か嫡男也天正十八年徳川殿