翻刻
【右丁】
姫路の城にうつり《割書:五万石をくはへられて|合て十五万石を領す》同き八年八月十日
五十二歳にて卒す 忠政岡崎三郎殿の御娘子にそひ参らせ
男子三人女子二人まうけたり是皆大御所の御外曾孫とそ聞えし
嫡子中務少輔忠刻《割書:はしめ|平八郎》大坂の軍に随ひ向ひ其後将軍家の
ひめ君に《割書:天寿院殿|の御事》そひ奉り女子壱人をまうく備前少将光政の
室これ也忠刻は三十一歳にて父に先たち元和五年五月七日
卒す《割書:はしめ姫君の御仮粧田として 十万石をつけて忠刻|賜ひしと云忠刻卒し男なけれは彼十万石は収公せられし》
侍従兼甲斐守藤原政朝忠政の二男也大坂の戦に父と一所に
軍しける叔父出雲守忠朝うち死してその男入道丸わつか
二歳なりしかは叔父忠朝【「従兄の政朝」の誤】かよつきとなる《割書:大多喜五|万石領す》兄中務少輔
【左丁】
忠刻世をはやくして後元和八年政朝また父か家をつく《割書:姫路十|五万石》
我今迄領せしを 叔父忠朝に賜ひしなり 入道丸やうやく
ひとゝなり内記政勝と申彼父か遺領なれはとてゆつる政朝
四十一歳にして寛永十五年十二月七日卒する時二人の男
猶いとけなけれは嫡男十五歳にならん頃我所領返しあたへ
よといひて又家の事をも政勝に譲る内記政勝はしめ寛永
八年播磨国にて別に所領を賜ひ《割書:四万|石》同九年に叙爵し同
十五年に政朝か跡をつく明れは十六年の冬大和国郡山の城に
うつる政勝本領には其嫡子八郎兵衛勝行に賜ふ《割書:大和にて|四万石》同
十七年に政勝四品に叙す寛永三年 侍従に任す 甲斐守