翻刻
【右丁】
政朝の為に政長すてに成人して中務少輔に任し二男政信監物
に任せらる政勝彼等か父の遺領をも返しあたへす《割書:政勝一たひ|は彼等か父の》
《割書:遺領かへしあたへんとせし|けれとも御ゆるしなかりしと也》承応二年十月十九日に至りてわつかの
地わかちし也政長政信にわかたる《割書:政長に三万石政信に一万石|おもふに政勝か嫡男勝行世を》
《割書:はやうせしのちかれ領せし|四万石をわかちしとなり》監物政信寛文二年四月廿日に卒す
子なかりしかは政勝又我三男してその嗣とす肥前守忠英
是也同十一年十月政勝卒す時に及て政長本領を《割書:十五万|石なり》
こと〳〵くあたへす我所領せし地《割書:十九|万石》三つか二つを政長
にわかち《割書:十二|万石》其一つは我子出雲守政利にそゆつれる《割書:六万|石》政長か
政勝にゆつらせ給て大和国郡山の城にしていく程なく延宝
【左丁】
七年四月廿四日卒四十七歳これも子なけれは侍従源頼元朝臣
《割書:水戸の松平刑部太輔殿|の御事なり》二男を以て嗣とし平八郎政武といふ《割書:按するに|美濃守忠政》
《割書:の娘小笠原右近将監忠貞に嫁したり忠貞の娘は松平刑部太輔殿の|室なりしかれは政武は美濃守か外曾孫なりしかゆへにや》同年
六月廿六日陸奥国信夫の郡福島にうつされ所領をくはへ
られしかは此時初て政朝むかし領せし程の地をは領しけり
《割書:十五|万石》政武ことし叙爵して中務少輔に任す
監物藤原政信は甲斐守政朝か二男いとけなくして父にをくれ
兄中務少輔政長と共に従弟【ママ】なりし内記政勝か許に養はれ
承徳【応の誤ヵ】二年十月九日政勝所領の地を割てあたふ《割書:一万|石》年廿七才
にて寛文二年四月廿日に卒す家嗣へき子なけれは政勝か三男