翻刻
【右丁】
御陣に参る其齢をとはせ給ひしかは十六歳と申むかし懸川の城を攻
し時康重十六歳にて軍初し高名しつ 汝も祖父にあやかりぬと
仰下されたり元和元年閏六月叙爵して伊勢守になされ父卒して
跡をつき寛永十一年四月将軍家御上洛の時岡崎城に
入せ給ひ新恩の地を加へたまふ《割書:三河にて|五千石》正保二年正月十一日
遠江国横須賀の城に移り同きとし二月十日四十六歳
にて卒し 其子 越前守 利長父につき舎弟等に所領を
わかつ《割書:利長か所領五万石二男彦八郎 助久四千五百石|三男兵庫利朝二千石をわかつ》
【左丁】
飛騨守藤原成重は作左衛門重次か子本多右馬助助定か後胤
三河国徳川家普代相伝の御家人なり作左衛門重次生年七才
にて贈大納言家に仕へ参らせしに徳川殿の御時に至て度々の
高名数をしらす永禄八年三河国大略御手に属しけれは此年
二月七日始て奉行職を下されて本多作左衛門重次高力与左ヱ門
清長天野三郎兵衛康景三人に仰て其職を掌しめらる
《割書:此時三河の歌に 仏高力鬼作左とちへんなしの天野三郎兵衛とうたふ重次は|をそろしけなる男のおのかいひたき事をはありのまゝにうちいひふるき思慮ある》
《割書:へき人と見えすかゝる職に任へきものにあらす思しに其心正しくすぐなり
|民をつかふに怠あらす民を訴すへき事明らか也しかは人皆もつて徳川殿の》
《割書:御はからひを感し|まいらせしなり》元亀三年冬三方原の城に重次高名これ多かり
数十騎か中にとりこめられ鎗をのへて敵一騎つき落し首を