翻刻
【右丁】
切その馬取て打乗浜松の城に馳帰りて見参す徳川殿敵をみて
我城をせめんと御方多勢ならんそ兵粮又つゝくへからす此事
いかにと仰は重次承て得其意我既に所々に粮米多荷積
候と答けれは悦事斜ならす其後こゝかしこ軍うつし給ふ時
多くは御後に留りまもる同き八年三月長沢の城落し時重次
内藤三左衛門信成共にしはし此城を守り十二年懸川の城を攻られ
しに一方の大将を承り城落て後酒井石川と同しく守る天正
元年の秋長篠の城を攻らる武田四郎勝頼うしろまきするとて軍勢
二ッに引わけて三河遠江にうち出る重次此時は榊原大須賀と
浜松の城に留りしか重次我々留守の料にいさ間近き武田
【左丁】
刑部入道信綱か《割書:逍遥軒|と号す》陣うち破てすてなは残る敵は戦すして
破れんとて三手の勢を合て九月十日信綱か陣取たる森の軍に
をし寄散々に打破り重次人々に向つて信綱うちまけぬと聞は
こゝかしこの敵一定たすけてや来るへき勝てかふとの緒をしむると
いふ言の候そやいさ帰らんとて引返す案の如く穴山一条山縣なと
いふ宗徒の者とも鞭鐙を合て馳来れは御方すてに引返し
長篠また落けれは皆本国に引かへす《割書:武田か家亡ふる兵当家にまけ|軍のはしめ也すなはち眉を》
《割書:ひそめし|といふ》同き三年長篠の合戦に大勢の中に切て入よき敵と
引くんて落かさなりて首を取かたきは八人か中にとりこめられ
八方より切てまはるかたきは 八人身はひとり七ヶ所迄手をおふつ