翻刻
【右丁】
すでにあやうく見へし所に郎等壱人おちあひて二人をは切てすつ
残る敵を追払ひからき命をいきてけり同四年五月十一日与力の音崎
重次か手に属せらる同き七年八月三郎殿の御事ありてのち重次
仰を承り岡崎の城を守る高天神の城おちし時重次か手に取たる
首十《割書:ヲ》八十余人生捕にす同き十年の春武田亡ひ同き夏織田殿討れ
玉ひ甲斐信濃ふたゝひ乱れしかは徳川殿其国にむかひ給ふ北条も
同しくかの国によりそひ給ふと聞えしかは其勢を引わけて駿河国
に攻入らんと重次江尻の城を守る《割書:一説に重次江尻にあり沼津をは|松平周防守康親守れりといふ》案の
如く九月廿五日北条の軍勢韮山の城より討て出戸倉山にいたる重次
さか寄してうちやふり韮山の城戸口にて追つめて首三十余を
【左丁】
切て引かへす同き十二年小牧に陣し給ふ時先陣して城を攻落す
蟹江の城を攻られしに先陣して城を攻落す重次 伊勢の国
星崎の城を守る頓て秀吉信雄中直りし給ひ信雄によりて
お義丸殿を養子とし給ふ時重次か子仙千代丸と石川伯耆守
数正か子と同しく付て参らす抑此お義丸殿と申は徳川殿の
御二男故有て生れおちさせ給ひしより重次とりて養ひ
まいらすことし御年十一になり給ふか都に上り給ふ事を
御名残惜く思ひしかば我ひとり子にて愛しける仙千代丸付て
まいらせたり秀吉もうへにはお義丸殿をやしなひ参らすなと
披露あれと内には此人を質とし 徳川殿に親しうならん