翻刻
ヽ右丁】
《割書:いふ子かと仰ありしかは をそろしく 鬼も子をうむそや鬼はまめ|いか成ものにや とと物こしに 人々の見たるにその親の鬼殿はさこそは》
《割書:あらめされはこそこれへ参る度ことに家康かへり候はん事はいまた|御沙汰ときこえ候何ゆへにおそひといひしそけさときのふといひしに》
《割書:まちとをにおもふらんあはれ家康とくしてかへしてたまへかしと|なきくときて此よしを大庁へ申しけれは 人々おとろきなけき給ひて》
《割書:日々に御消息ありて 徳川殿とくかへさせ給へこなたのいのちもいかさま|いふせきいつの世にかはわするへきなとふりし事ともこま〳〵とおゝせ》《割書:つかはされしはとにおもひ〳〵 御帰国まち〳〵大原にそ帰りのほらせ|給ひけれと女房たちなみたをながしてなさけなくも御母上を下し給ひし》
《割書:ものかな鬼本多とかやかとくこそいふなれかくこそとりなふてさふらひ|つれ今は朝日の姫君をまいらせ候へは徳川殿の御ためにも大政所は御母上にて》
《割書:候をいかに鬼なりとも をのかそのこと知らぬもや 候へきそれ〳〵かくかしき|目をみせまいらせて 侍れははやく 徳川殿仰られいかなるつみにも》
《割書:あはせて大庁の御うらみをも はらさせ給へと とく〳〵にもつたへ|けれは関白殿はうちわらはせ給ひて 家康はよきもの共あまためし》
《割書:つかひたり秀吉はそのよき家人を得かたき事におもふ事|なりとのたまひつゝ御座をたゝせたまひしなり》同き十八年
正月関白殿北条を追討の事あり我国々を打て下り給ふへし
【左丁】
御陣のために海道の城々を備へ参らすへしとて重次と佐渡守
正信ともに奉行させ修理の事仰下さる同き三月関白殿岡崎
の城に入給ふ此城は重次か守る所なれと御迎ひにも参らす城へ
入せ給ひしのちにも見参に及はす関白殿より加藤遠江守を
御使にて三度まてめしけれとも重次関白殿に見参して申す
へき用もなし御免あらせとてつゐに参らす《割書:一説に同き廿日|関白殿駿河国》
《割書:国府より城に入たまふ時 徳川殿長久保の御陣より参給ひ御対面の義|あり 重次此所に参て関白殿の御家人あまた並居たる所にて徳川殿の》
《割書:御うしろより参てたちはたかり大きに声をいからかいてや何殿や|何殿あつはれふしきやふるまひ給ふよ国をもたもたんとする人か》
《割書:わかすむ城をうちあけてしはしも人に借事やある其定にては人のからんと|いはんには一定北の方をもかしたまはんするよなかし給はんするになと》
《割書:のゝしり〳〵て 立かへる徳川殿人々にうちむかひ給ひ今の老人か申|たるやうを聞てこそ候らめかの老人と申は本多作左衛門 重次とて》