伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・上) - 翻刻

藩翰譜(四・上) - ページ 47

ページ: 47

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【右丁】 《割書:家康か累代の家人家康かいとけなきより 仕へぬ 年若きよりして|弓矢打物とりては人にもしられ候ひしかけふ見給ひしやうに年も》 《割書:いたくよつて候されは家康も不便の者に致すといへとも 天生わかまゝ|なる根生にて人をは這虫ともおもはす人々のきゝ給ふ所にてけふ家康を》 《割書:かく計はしかましう申ましてたゞ二人うちむかふる時の 事を思ひ|やり玉ふへし常にはいかにも候ひなんいかてけふしもかゝるあやしみをば》 《割書:ふるまふべき 人々のおぼしたまはん所はつかしふ候と仰けれはありあふ|人々一同に此人の事久しくうけたまはり及ふといへとも見ならひしは》 《割書:けふこそ始めなれ誠に聞しに勝り候者かな事珍らしく候へとも|かゝる御家人の輩おくゆかしく覚へて候と色代せしといふ 按するに》 《割書:重次此度海道の城〳〵修理に奉行たり此城かし給ふこといかてしらさる|へき しかるにかく 京家の人々のあつまりし所にて 思ふさまにいひちらし》 《割書:たるまことにさる智ふかき 人なり重次にあらすして およふましされ|とも此説あやまれる成へし ○小田原へそ重次二の先陣にむかひし》 《割書:といふ|説なり》程なく北条亡ひ関東を以て徳川殿へ知行あるへしと さためられし時関白殿むかし本多か秀吉をたばかつて をのか子をとりかへし此度又秀吉か下向の時対面すべきよし 【左丁】 使者を以詞つくせとも終に参らすかれといひこれといひ其科軽 からすかゝる者召つかはれん事然るへからずと大に怒仰けれはかの怒 散せん程はこもり居よかしと思めしければ上総国小原の庄にて老 やしなふべき程の所領賜《割書:三千|石》忍ひ〳〵に御使有て常に向せ給ひしが ほとなくかの所にてつゐに終れるこそあはれなれ《割書:一説に慶長五年|関原合戦の頃迄》 《割書:なからへて其時江戸の留守たりといふ覚束なし○去し天正十三年三月に|徳川殿御背中に疔といふものいてきて既にあやうく見へ参らせしかば》 《割書:内外医数月療手を尽しけれ共そのしるしなくたゝよはりによはらせ|給ひみつからもこれまてと思し召けるにや むね徒の御家人等召集めて》 《割書:御あとの事とも仰をうけたまはり人々周章いふに及はす民百姓等に至る|まて所々ほと〳〵に参りていのらぬ神仏もなくたてぬ願もなし 重次》 《割書:御枕元に居つきて泣々申けるは殿にいかに覚へさせ給ひなん重次かむかし|此やまふをうけしにたち所にしるし得し良医の候かれをめして見せこゝろに》 《割書:給ふへしと申す諸医すてに手をつかね家康また死を決す此うへは|医療そのせんなしかつは命をおしむに似たり とてもちゐ給はす》