翻刻
【右丁】
《割書:膿血おひたゝしくながれ出て御なやみたち所にゆるませたまへば|重次はうれしなきに声をかぎりになく御前伺候の人々も》
《割書:感涙をともに流しけり此人かゝる奉公の事とも世に伝ふる事|多しこと〳〵くしるすにいとまあらず 大略をしるしぬ》
其子は飛騨守成重なり童名は仙千代丸 成人の後は
丹下と申し相州小田原の御陣に重次成重 後陣に有重次
籠居せし後は成重も出仕を留て籠り居ぬ 関ヶ原の
合戦には御後にそ陣しける慶長十八年越前国丸岡の城
を賜て少将忠直朝臣の家にそ付られける 《割書:創業記に慶長|十八年越前の》
《割書:家老今村掃部助清水丹後守相論の事召て 二人共に配流せしる|越前の政勢をそ本多伊豆守に仰下され今まで今村か領せし》
《割書:丸岡の城をは本多丹下に賜ふ也四万三千三百石余を領せしなり|一説に慶長三年 結城殿へ付らるといふ覚束なし又伊豆守と云は》
《割書:むかし成重か身代りに都へのぼりし|源四郎富政と申せしか事なり》大坂前後の戦に 越前の
【左丁】
先陣し前年十二月四日御方の先陣城を攻る時成重郎従討るゝ
者十六騎痛手かふふる者百六十人後年七月七日成重か三百騎
まつ先に進み真田左衛門尉幸村か陣を打破て自ら敵弐騎切て
落す郎従等か切る所の首弐百七十三城門を打破て一番に城に入《割書:ル》
こゝかしこに火を掛て首又二十八を切其節討れし者六人疵を
蒙る者七人元和九年忠直朝臣配流のゝちふたゝひ将軍家の
御家人とそ成たる也年老て子息淡路守重能に家を譲り
入道して土菴と号す《割書:成重か致仕せし年|卒せし年いまたしらす》淡路守重能
慶安四年十二月七日 卒す年六十二才 其子は飛騨守重昭
父につぎ延宝四年三月十五日に卒し 其子作左衛門