翻刻
【右丁】
重益家を継て飛騨守に任ず
【左丁】
本多
縫殿助藤原康俊は縫殿助忠次か子実は酒井左衛門尉源忠次か
二男なり縫殿助忠次か曩祖は九条右大臣師輔公より出て忠次か
数代の祖三河国に移りて宝飯郡伊奈庄に住す国人これを
伊奈の本多とそ申ける岡崎次郎三郎殿東三河の地併せらるへき
にて御馬を出されし時忠次か祖父縫殿助正忠最初に御方に
組して先陣し牧野兄弟既に討れて吉田の城に向ひ給ふに
正忠城の東門を攻破つて終に城を落すこゝより又田原の城に
向ひ給ふに正忠をのか伊奈の城にむかへ参らせ御酒奉りて賀し
参らす《割書:家に伝ふる所は此時御肴をすゝむとて池なる水葵の葉に|盛りて参らせしかは二郎三郎殿御覧ありて立葵は正忠が》