翻刻
【右丁】
《割書:落書しけれは二陣の伊奈勢やすからぬ事やとて忠俊の子修理亮|光忠伊予光典幷に家臣戸田丹波小栗渋太夫等まつさきに進み》
《割書:戦ひて敵あまた打とりて 石ヶ瀬や小川の水の早けれと|いなひかりには及はさりけりといふ返歌を札にしるして敵陣の》
《割書:前に立し|といふ》同き六年の春一向専修の門徒に叛き参らせし時
東三河の人々の御方にこゝろさしあらんは今川の兵に備ふべきよし
仰下されしかはをの〳〵人質を参らせて其要害を守る忠俊
仰を承り吉田の城に備ふへしとて小坂井糟塚の要害構へて
手の者ともを籠置嫡男光忠をば岡崎に参らせて常に御軍の
さきをかく《割書:此時賞として賜る所の御刀は光忠|嫡流の家に持伝ふといふ》其後光忠所労に
よりて舎弟彦八郎忠次父か跡をつく光忠光典兄弟徳川殿の
御為に吉田の城攻取べきよしを相議して忠次に随ひ岡崎に
【左丁】
参りてかくと申す徳川殿大きに悦はせ給ひさらは光忠二連木に
行向ひ戸田主殿助と相謀るへしと仰られ御馬賜りてつかはさる
《割書:此時賜りし御馬の鞍具も光忠|嫡流の子孫の家に持伝ふと云》かくて御勢をさしむけられ糟塚
喜見寺二ヶ所の要害を攻られ忠次先陣をたまわりて御軍を
出され吉田の城を攻らる光忠等かねて申せし事の如く城中の者共
おもひ〳〵に成て其戦はか〳〵しからす忠次従者戸田小栗を使として
しろの大将小原肥前守か許に申《割書:ス》事数度の後小原つゐに城を去りて
駿河国に帰る此年永禄七年六月三河八郡の地こと〳〵く御手に
属しけれは忠次か功最莫大なりとて忠次幷に光忠光典
戸田小栗等におの〳〵所領の地を下し賜ふ《割書:此時忠次光忠には御書を|賜りて功を賞せしか》