翻刻
【右丁】
より〳〵に見参の事を催さる徳川殿既にかくむすほうれたる中と
ならんからは尊者に向ひていかて無礼には及ふへきと仰ければ
関白殿悦給ふ事大かたならすさらは御家人等か心をやすんぜ
られんが為に御上洛のほどはそこにとゞめ参らせ給ふべしとて
大庁を下したまふ徳川殿それ迄にも及さふらはしものをと
仰られしかと大庁既に御首途ありと聞へしかは岡崎の城に
むかひ入たまひ直政を御あとにとゝめらる御見参の事終りて
後ほとなく帰らせ給ひやがて大庁をも返しまいらせらる
此度は直政して送られけり直政関白殿にめされて饗応の
儀あり石川出雲守数正は《割書:伯耆守か事也|別に伝あり》直政かむかしの傍輩なれば
【左丁】
とて接伴のため出さる直政数正にうちそむき居て面を合せす
殿下みつから茶点して給はるへきに至て数正又 接伴(セウバン)す
直政かたへの人に向ひこれにさふらふ数正は普代相伝の主君に背き
参らせ殿下に随ふ大臆病の男なれは直政かれと肩をならべ
膝をくまん事御免をかうふるへきにて候と申けれは御前に
ありおふ人々皆舌をぞふるひけり十六年四月主上関白家へ
行幸あり徳川殿も参らせ給ひ御家人等任官の事あり
直政ことに侍従従五位下になされ兵部少輔を着ぬ 十八年の
春若君はしめて関白殿へ参り給ふ直政御供して都に
上る此年の夏関白殿相模の北条をうたれしに直政