翻刻
【右丁】
《割書:是をものとも せず その手〳〵てくろかねの楯ひつさけゑひ声を|出してせめ入しほとに 士卒 なとかはためらふへき次の城にせめ入て》
《割書:散々に戦しと也 ふるき人此事をかたりていひしは徳川殿の|直政めして一ッの端を挙給ひ四十八日を 経るまてその心を仰》
《割書:られざりし事こそありがたけれ聖人の人を教へたまふ 事 皆|かくの如し およそよのつねの事 にてもその人のみつから心に得ぬ》
《割書:事はいかにも口につけて いひたれはとてもつゐに其益なしまして|戦にのそみては機にのそみて変に応すべきものなれは ひとの》
《割書:おしへをたのむべからす 又直政が徳川殿の 仰を承て四十八日が|ほど心にたえすおもひはかりしもよのつねならす此心をもつて》
《割書:身をも人をもおさめん事を思ひめぐらさはなとかその道を得さる|へきおよその人はつねの人のことばはいふにや およふ聖賢のことばにても》
《割書:うちきゝたる所のやかて心に得ぬをはいかなる事ともおもひはからず|舜の大聖なるこのみて邇言(シゲン)を察したまへりといふものをまして》
《割書:たゝ人の此心なからんには などか|よかるへきと 申はべり》北条ほろひて彼領せし国々
徳川殿へ参らせらる関白殿の 仰にて直政上野国箕輪と
いふ所を賜り《割書:十二|万石》高崎の城をかまへて移り住十九年七月奥の
【左丁】
九戸が《割書:修理亮|政実》主の南部に《割書:大膳大夫|信直》背きしかは徳川殿三好中納言秀次
卿と共にむかひ給ふ直政先陣を承り蒲生飛騨守氏郷に《割書:会津の|守護》
《割書:別に伝|あり》加勢して九戸の城を攻落す慶長三年八月太閤
薨し給ひし後彼家の奉行徳川殿うしなひ参らせんとする
事度々におよふ直政等かきひしく守護し奉りしによつて
終に御恙わたらせ給はす同き五年の夏上杉中納言景勝が
陸奥会津に引こもりてめせとも 終に参らすさらは追討
あるへしとて徳川殿御下向あり大坂の奉行等其隙をうかゞひて
天下の軍勢を催し関東に攻下り上杉と牒し合て徳川殿を
うたんとすその事下野国小山の御陣にきこゆ御供に