翻刻
【右丁】
《割書:はるかの末座に伺候せし人けふは一臈の上にたちしありさまの優|長にこそ見えしかな あはれよき将軍家の御かため也けりと賀し申て》
《割書:けり○按するに政事禄【録】に慶長十九年十二月廿四日 将軍家直孝に|沢山の城を賜ふとあり家忠日記追加に元和三年二月大御所直孝を》
《割書:駿府にめして此仰ありといふ思ふに|政事禄【録】のしるす所あやまるへからず》かくてふたゝひ兵起りて
直孝又先陣たまはりて大坂に向ひ戦て敵の大将木村
長門守内藤新十郎山口左馬之助等を先として首三百十五
切て献る其勧賞に 近江国長浜の地くわへ賜ひ《割書:五万石を|賜り二》
《割書:十万石|を領す》又従四位下に叙し侍従に任し其後従四位の上左
少将を歴て正四位上右中将に至る大相国家の御時又
地くはへられ《割書:五万石その年月いまた詳ならす|元和五年の事也とも 云 月未詳》左大臣家御代
しろしめされし初又所領くはへ賜ひ《割書:五万石是も賜ひし年月詳|ならす都合三千万石を領す》
【左丁】
身すてに三代将軍家の大老として万治二年六月廿八日に
卒す七十一歳嫡子靱負佐直滋はいかなる故かありけん万治
三年壬十二月廿二日 世をのかれて入道す二男直寛《割書:弁之|助》三男
直縄《割書:内匠|頭》世をはやうす四男玄蕃頭直澄万治二年四月
二日嗣となり父卒して家をつき此年侍従に任し又
従四位下に叙し寛文五年四月左少将又掃部頭になされ
延宝三年十二月廿四日に卒す其子玄蕃頭直興実は
直滋か男直澄か嗣とせん事を望給ふ寛文十二年十一月
廿二日御ゆるしをかうふる同き十二月廿八日従四位下侍従玄
蕃頭となされ直澄卒して家をつく