翻刻
【右丁】
頭して所々の合戦に先陣し一度も不覚の名をとらす
《割書:忠次か戦功のそふるにいとまなし|たゝ其大略をしるすのみ》中にも 元亀元年九月去る
六月近江国姉川の合戦の後織田殿又加勢の事を仰けれは
此度は忠次石川日向守家成とともに宗徒の人々引具して
むかふに勢わつかに二千人にはすきす 近江の勢多にて
織田殿に参り給ふ 信長 悦給ふ事 なゝめならす越前
のかたきをは信長ふせき戦ひなん当国佐々木か軍勢には
人々むかつて 軍せよと宣へは勢多と草津の間にそ 陣
とつたり同き廿五日佐々木か 多勢と戦ふ事一日の間に
廿余ヶ度かたきこと〳〵く利をうしなつて 越前の兵
【左丁】
気をくれして信長に中なをりし本国にこそ帰りけれ
同き二年四月武田大膳太夫入道信玄二万三千人を
引率し三河国へ発向すかたき二連木の城せむと
聞しめされ御勢わつか五千人うしろ巻せんと出給ふに
し城はおちぬと聞えしかば吉田の城に入たまふ武田も
こゝにおしよせて山々に陣を取先子息の四郎勝頼
山縣三郎兵衛尉昌景都合その勢八千五百城のほとりに
攻ちかつく左衛門尉忠次城中より打て出かたきの多勢を
追はらひ明る日又候先かけして吉田の宿のあなたにて
一日かその間に三度迄こそせ戦ふたれ《割書:此日忠次みつから|廣瀬郷左衛門と戦ふ》