伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・上) - 翻刻

藩翰譜(四・上) - ページ 7

ページ: 7

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【右丁】 頭して所々の合戦に先陣し一度も不覚の名をとらす 《割書:忠次か戦功のそふるにいとまなし|たゝ其大略をしるすのみ》中にも 元亀元年九月去る 六月近江国姉川の合戦の後織田殿又加勢の事を仰けれは 此度は忠次石川日向守家成とともに宗徒の人々引具して むかふに勢わつかに二千人にはすきす 近江の勢多にて 織田殿に参り給ふ 信長 悦給ふ事 なゝめならす越前 のかたきをは信長ふせき戦ひなん当国佐々木か軍勢には 人々むかつて 軍せよと宣へは勢多と草津の間にそ 陣 とつたり同き廿五日佐々木か 多勢と戦ふ事一日の間に 廿余ヶ度かたきこと〳〵く利をうしなつて 越前の兵 【左丁】 気をくれして信長に中なをりし本国にこそ帰りけれ 同き二年四月武田大膳太夫入道信玄二万三千人を 引率し三河国へ発向すかたき二連木の城せむと 聞しめされ御勢わつか五千人うしろ巻せんと出給ふに し城はおちぬと聞えしかば吉田の城に入たまふ武田も こゝにおしよせて山々に陣を取先子息の四郎勝頼 山縣三郎兵衛尉昌景都合その勢八千五百城のほとりに 攻ちかつく左衛門尉忠次城中より打て出かたきの多勢を 追はらひ明る日又候先かけして吉田の宿のあなたにて 一日かその間に三度迄こそせ戦ふたれ《割書:此日忠次みつから|廣瀬郷左衛門と戦ふ》