伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・上) - 翻刻

藩翰譜(四・上) - ページ 8

ページ: 8

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【右丁】 《割書:事二度に|及ふといふ》武田入道徳川殿此城にましますと見へけれはたや すくはおとされしとうらより山路にさしかゝつて本国へそ 帰りける同三年十二月三方か原の合戦に武田か侍大将小山田 備中守の陣を打やふる天正元年二月忠次鳳来寺の城をせめ おとす六笠一宮の城々こらへすして皆降人になつて出す 同二年九月武田四郎勝頼浜松の城をせめんとて二万余騎を したかへて大天竜を打渡る御方はわつかに七千人小天竜に うちのそみすてに御勢をすゝめらる忠次しきりにいさめけれは 御方すゝみて戦ふに及はすかたきも頓て 引返す同き十月 勝頼又鳳来寺に要害をかまへ軍兵をこむ十二月二日忠次 【左丁】 かしこにをし寄て城中の兵と戦て首あまたきつてこそ 献る同き三年五月武田四郎長篠の城を落さんと遠江国を 経て三河国にうち出る 徳川殿御父子うしろ巻あるへしとて 三郎殿山中に陣を取たまへは徳川殿吉田の城に入給ふ左衛門尉 忠次城を出てはしかみ原のほとりにて山縣の勢と戦ひたり 頓て織田殿加勢有て同き廿日御方の軍勢は都合十万余騎 荒海(あらみ)原に出向ふ勝頼武田兵庫助儀宣をさきとして宗徒の 侍大将七人 長篠の城の上鳶の巣の要害にこむ小山田等が 勢を引わけて城をせめ 我身は一万五千余騎滝沢川を 渡て陣をとる忠次徳川殿にむかつて忠次は三河の人々を