翻刻
【右丁】
《割書:事二度に|及ふといふ》武田入道徳川殿此城にましますと見へけれはたや
すくはおとされしとうらより山路にさしかゝつて本国へそ
帰りける同三年十二月三方か原の合戦に武田か侍大将小山田
備中守の陣を打やふる天正元年二月忠次鳳来寺の城をせめ
おとす六笠一宮の城々こらへすして皆降人になつて出す
同二年九月武田四郎勝頼浜松の城をせめんとて二万余騎を
したかへて大天竜を打渡る御方はわつかに七千人小天竜に
うちのそみすてに御勢をすゝめらる忠次しきりにいさめけれは
御方すゝみて戦ふに及はすかたきも頓て 引返す同き十月
勝頼又鳳来寺に要害をかまへ軍兵をこむ十二月二日忠次
【左丁】
かしこにをし寄て城中の兵と戦て首あまたきつてこそ
献る同き三年五月武田四郎長篠の城を落さんと遠江国を
経て三河国にうち出る 徳川殿御父子うしろ巻あるへしとて
三郎殿山中に陣を取たまへは徳川殿吉田の城に入給ふ左衛門尉
忠次城を出てはしかみ原のほとりにて山縣の勢と戦ひたり
頓て織田殿加勢有て同き廿日御方の軍勢は都合十万余騎
荒海(あらみ)原に出向ふ勝頼武田兵庫助儀宣をさきとして宗徒の
侍大将七人 長篠の城の上鳶の巣の要害にこむ小山田等が
勢を引わけて城をせめ 我身は一万五千余騎滝沢川を
渡て陣をとる忠次徳川殿にむかつて忠次は三河の人々を