翻刻
【右丁】
攻とる《割書:三河に|あり》康政先陣を承り《割書:時に年|廿一才》松平勘四郎信一と互に先
をあらそひて康政一番に城をせめやふりしより遠江の懸塚天方
《割書:永禄十二|年の事》犬居《割書:天正二|年の事》高明《割書:同き|三年》高天神《割書:同き八年より|九年に至る》近江の
姉川《割書:元亀元年|の事》等を始として或は城をせめあるひは野に戦ふ事
数をしらすおよそ康政かむかう所うちやふらすといふ事なし
中にも元亀三年十二月廿二日三方か原の合戦武田入道の
先陣山家三方の輩をは康政か手にて打破るみかたすてに
まけ軍して引返すに康政一勢しりそかす小高き所に
旗をうちたて手の軍兵をあつめつゝ 城東郡の方西郡へ
しつかに引てそ帰りける又天正六年七月長篠の城を攻らる
【左丁】
武田四郎勝頼後巻せよとて武田左馬助信豊同刑部入道信綱
をさきとして《割書:信豊をは後に典厩と号す|信綱をは逍遥軒といふ》宗徒の侍大将あまた
さしむく康政此時は御跡にとゝまりて大須賀《割書:五郎左ヱ門|康高也》本多
《割書:作左ヱ門|重次》と相はかり同き九月七日信綱入道か陣とつたる森の
地にをしよせて散々にうち破る武田か家のほろふへきまけ
軍の始とは後こそおもひあはせけれ此後長篠の戦より武田終に
亡ふるに至るまて所々の軍に功あらすといふ事なし同き十年
武田ほろひ織田殿うせ給ひ徳川殿甲斐国に入て北条と
戦ひ玉ひし時康政大須賀と一所に敵を破る十二年秀吉
信雄の戦に徳川殿小牧に御陣をすへられしは康政かすゝめ参らせし
【同 頭部欄外】
上杉謙信忠政
に贈られし
書に徳川殿と
をなしく兵を
挙て甲斐
信濃の国に
入て武田四郎
を討へき由を
載せし正月
九日としるされ
たり村上源吾
国清か書にも
彼一時の事
にて正月廿三日
としるすこれら
の書いつれの
時の事にや
いまた詳ならす
おもふに天正の
はしめに有
へし