翻刻
【右丁】
同き十六年殿下北条の上洛を催され氏政氏直のたまふ旨有て
北条美濃守氏親を都にもほせられしに徳川殿よりも康政を
副らる北条の望に任せ真田安房守昌幸関白殿の仰奉りて
上野国沼田の城を北条へさけわたせし時も康政関白の
御使に添て真田か許に行向ふしかれは北条つゐに上洛なかり
しかは同十八年関白殿に攻られて降人となつて参給ひ
しかと氏政には自害させ氏直をはたすけらる此御使にも
副られたり此年徳川殿東国へ移り給ひし時康政に上野
国館林城を賜ふ《割書:十万|石》関白殿仰らるゝ旨ありし故とそ聞えし
同き年十二月陸奥に逆徒をこり徳川殿御退治あるへきにて
【左丁】
康政先陣承りすでにうちたゝせ給ふに事平きぬと告申けれは
十九年正月十一日岩手沢より引返さる文禄元年二月二日康政
中納言殿に仕へ奉るへきよしを仰下され慶長三年の秋太閤
薨し給ひ明れは四年の正月大坂の奉行人等徳川殿うしなひ
参らせんと謀りひそかに軍兵を催し伏見の御館を襲はん
とす此由既に披露して徳川殿にはせ参て御館を守護
せし大名もすくなからす康政此ほと東国より上るとて道にて
かくと聞て夜を日につきて馳るは【「ほ」の誤ヵ】とに近江の勢多に至り
徳川殿御恙なしと聞て此所に 新関たてゝ往来の旅人を
とゞむ徳川殿の軍勢すでに勢多まて馳上りて雲霞のことく