伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・上) - 翻刻

藩翰譜(四・上) - ページ 72

ページ: 72

翻刻

【右丁】 同き十六年殿下北条の上洛を催され氏政氏直のたまふ旨有て 北条美濃守氏親を都にもほせられしに徳川殿よりも康政を 副らる北条の望に任せ真田安房守昌幸関白殿の仰奉りて 上野国沼田の城を北条へさけわたせし時も康政関白の 御使に添て真田か許に行向ふしかれは北条つゐに上洛なかり しかは同十八年関白殿に攻られて降人となつて参給ひ しかと氏政には自害させ氏直をはたすけらる此御使にも 副られたり此年徳川殿東国へ移り給ひし時康政に上野 国館林城を賜ふ《割書:十万|石》関白殿仰らるゝ旨ありし故とそ聞えし 同き年十二月陸奥に逆徒をこり徳川殿御退治あるへきにて 【左丁】 康政先陣承りすでにうちたゝせ給ふに事平きぬと告申けれは 十九年正月十一日岩手沢より引返さる文禄元年二月二日康政 中納言殿に仕へ奉るへきよしを仰下され慶長三年の秋太閤 薨し給ひ明れは四年の正月大坂の奉行人等徳川殿うしなひ 参らせんと謀りひそかに軍兵を催し伏見の御館を襲はん とす此由既に披露して徳川殿にはせ参て御館を守護 せし大名もすくなからす康政此ほと東国より上るとて道にて かくと聞て夜を日につきて馳るは【「ほ」の誤ヵ】とに近江の勢多に至り 徳川殿御恙なしと聞て此所に 新関たてゝ往来の旅人を とゞむ徳川殿の軍勢すでに勢多まて馳上りて雲霞のことく