伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・上) - 翻刻

藩翰譜(四・上) - ページ 73

ページ: 73

翻刻

【右丁】 陣とると大坂に聞へしかはたやすうよせも来らす康政 勢田にとゝまる事三日同月廿八日の夕暮に関をひらきて 此間諸国より来りあつまつたる旅人只一時に大津山科や 醍醐狼谷を経て京伏見へ馳上るこれをみる人あなをび たゝしの東国の勢や何万騎かあらんといふも有又秀忠 中納言の多勢を引て上りしなといふ程に大坂の人々 いよ〳〵心をくれし事つゐに和らきけり此夕康政大 わらはなるまゝにて馳参しかは徳川殿大に悦わ【は】せ給ひ みつから打鮑とつて給ひけり同五年の秋奥の景勝御 追討の時 康政中納言殿の先陣打て下るかゝる所に上方 【左丁】 にも軍起りぬと聞えてまつ此所の軍をはとゝめ引かへして 上方へ向はせ給ふへきにて中納言殿山道をうつてのほらせ 給ふに信濃の真田か上田の城にたてこもつて御勢を遮んとす 本多佐渡守正信安房守か勢にて城を出て戦はん事叶ふ へからす只打すてゝ片時もはやく御上りあつて海道の 軍のやうを聞召あはさるへしと申けるに大番の人々はしたなく 城の兵と行逢て軍し出し城既におつへかりしを佐渡守 制しとめて小諸の城に御陣うつさせ参らせ軍せし輩を 罪科に処すこれ御下知をまたすして軍せし故なり けりこゝより間道を経てのほらせ給ふ正信かはからひにて