翻刻
【右丁】
陣とると大坂に聞へしかはたやすうよせも来らす康政
勢田にとゝまる事三日同月廿八日の夕暮に関をひらきて
此間諸国より来りあつまつたる旅人只一時に大津山科や
醍醐狼谷を経て京伏見へ馳上るこれをみる人あなをび
たゝしの東国の勢や何万騎かあらんといふも有又秀忠
中納言の多勢を引て上りしなといふ程に大坂の人々
いよ〳〵心をくれし事つゐに和らきけり此夕康政大
わらはなるまゝにて馳参しかは徳川殿大に悦わ【は】せ給ひ
みつから打鮑とつて給ひけり同五年の秋奥の景勝御
追討の時 康政中納言殿の先陣打て下るかゝる所に上方
【左丁】
にも軍起りぬと聞えてまつ此所の軍をはとゝめ引かへして
上方へ向はせ給ふへきにて中納言殿山道をうつてのほらせ
給ふに信濃の真田か上田の城にたてこもつて御勢を遮んとす
本多佐渡守正信安房守か勢にて城を出て戦はん事叶ふ
へからす只打すてゝ片時もはやく御上りあつて海道の
軍のやうを聞召あはさるへしと申けるに大番の人々はしたなく
城の兵と行逢て軍し出し城既におつへかりしを佐渡守
制しとめて小諸の城に御陣うつさせ参らせ軍せし輩を
罪科に処すこれ御下知をまたすして軍せし故なり
けりこゝより間道を経てのほらせ給ふ正信かはからひにて