翻刻
【右丁】
すく道は敵にちかしとてさけられし故とも申しけり
康政は真田か軍せんやういかほとの事かあらん打出なば
けちらしてその城ふみやぶつてくれんする物をとておのが
手勢ばかりにて城近くをして通るに昌幸あへてとゞめん
ともせす関ヶ原の軍事終りぬと道にて聞し召中納言殿
殊の外にいきとほらせ給ひて御馬をはやめられし程に近江
国【「草」脱ヵ】津の宿にて徳川殿に参りあひ給ふされ共大御所内々
御気色よろしからさる事ありて三日をすくるまて御対面
ましまさすこはいかなる事そと御家人等をとろきあへりまして
山道の御供にさふらひし輩大きにをそれをのゝく康政夜
【左丁】
に入て徳川殿の御前に参り申すやう此度中納言殿御不審
かうふらせ給ふ事康政等か罪科もつとも軽かるへからす
たゝし風聞におよふ所中納言殿上田の城を攻落し給はす
又はをしても御通りなくことに海道の合戦にもあはせ
給はぬ事を御不審あると承り候ひぬもし此条に候はんには
おそれ多き申し事にて候へとも殿の御誤なきにもあらず
抑殿は今月《割書:九月|なり》朔日に江戸を御首途有て同十一日尾張国
清洲の城に入らせ給ひわづかに二日を過て美濃国へ御陣を
すゝめられ十五日に至て御合戦事畢りぬと候誠御父子
一所に三成等を御誅伐あらんと思しめされなは兼て軍の