伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・上) - 翻刻

藩翰譜(四・上) - ページ 77

ページ: 77

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【右丁】 かは康政も心よけに見えしに中務少輔これを聞て直政の 宣ふところ勿論なり されとこゝに忠勝心得ぬ事一ツ あり康政いひひらき玉ひなんやといふ康政わらつて 何事にもあれ承らんといふ忠勝主殿か大殿をたにか程に 諫申せし身の佐渡守正信の後にのみしたかひしこそ心得ね 我等三人か事は徳川殿にさる者ありと天下の人にもゆるされぬ 弓矢とつてのみかは康政の謀申さん事大かたはさみし申《割書:ス》 人あるましゐ【ママ 「い」とあるところ】ものなと主殿先陣して一日の内に真田か城 攻やふつてこそ御供申ては上らぬそもしさもあらんには たとへ海道の合戦にあわせ給はすとも大殿の御気色 【左丁】 か程迄はあらしさらは又主殿か身を捨て いさめあらそふにも 及ふましと思ふはいかにといへば 康政答ふるに詞なくて三人 一同に打わらひ数盃の興をそ添にけり康政と忠勝とは 同年にて同地にひとゝなりしかはいとけなきより たかひに したしかりし故常にはかるゝ事をもいひあらそひけるとなり 同き十一年四月康政館林の城にて病にふす将軍家大に おとろかせ給ひ酒井雅楽頭忠世《割書:康政か|むこ也》土井大炊頭利勝を めし汝等すみやかに医師を給てゆき心の及ばんかぎり よきに治療をくはへよとそ仰下され又日々に御使あつて とはせ給ひしかと終に五月十四日五十九歳にて卒しぬれは