翻刻
【右丁】
御歎き浅からす御弔【吊は俗字】使として 阿部備中守正次ゆきむかひ
賻たまふこと多く康政大須賀五郎左衛門康高か娘に相倡
して子四人をもうく嫡男は外祖のよつきとなる大須賀
出羽守忠政これなり二男遠江守康勝二人の娘は酒井
雅楽頭忠世か妻其妹は将軍家の御養女武蔵守利隆の
室《割書:池|田》少将光政の母上なり遠江守康勝父か家をつき慶長
十九年冬将軍家の先陣うつて大坂に向ふ明る元和元年の
夏井伊掃部頭直孝先陣を承り康勝二陣に定められ
ふる兵なれはとて藤田能登守信吉を康勝に副られたり
《割書:藤田か伝|列に有》五月六日直孝木村長門守と若江にて戦ふ康勝
【左丁】
同しく戦んとす能登守制して御方の多勢にむかひ出向 ̄ツ て
軍するかたきの陣の張やうのうすきこそあやしけれあの誉田
の森につゝきたるしけみに勢引かくし御方勝に乗て乱れ
たらん時に打出戦はんすと覚ゆるそ井伊既に勝ぬとみゆ伏兵
今におこりなん其敵打やふつてすつへきものをといひけるにかたき
思ふにも似すやふれはしたる康勝か手に首数級を打とりぬ明れは
七日天王寺の合戦に康勝きのふ軍せさりしを憤て二陣に
さたまれとも直孝とをしならへて陣し敵の多勢打やぶり
首七十八献る能登守信吉もみつから手二ヶ所まておふて
手の者に首切らせたり両御所康勝信吉を召て御感の