伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・上) - 翻刻

藩翰譜(四・上) - ページ 79

ページ: 79

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【右丁】 仰かうふるかゝる所に同廿七日康勝の毒腫わつらひ出し年 三十六歳にて俄に死す 両御所大に驚かせ給ひ郎従等を めして康勝か子やなかりしと尋られし其つゐてに若江 にてなと合戦にはおよはさりしと宣ひしに郎従等かしこ まつて井伊木村すてに戦をあはすと見て康勝か手の者 とも同しくすゝみ戦んとす藤田能登守信吉康勝と共に これを制す信吉さる兵と承るいみしき謀やあるらんと存 せしに敵つゐにやふれしかは軍にはあはす康勝いまた年 わかしつよからん謀にことしたかふべけれと存せしに身の 煩しき故にや信吉と心を合てすゝみえすされは天王寺の 【左丁】 合戦には随一の郎等伊藤忠兵衛まつさきに討死し手の者 こと〳〵く命を捨て戦ひし事先日の恥を雪かんがためなりき かゝる煩ある身なれはにや家つくへき子とても侍らすと 申す大御所此よしを聞しめし頓て信吉めして 御糺問あり終に康勝か郎従等とうつたへ おこりて みつから御裁断にそ及ひける《割書:康勝加藤肥後守清正か娘|に相具しけれとそれには》 《割書:子なくして妾のはらに 男子一人あり 平十郎と云しかるに|郎従等子なきよしを申せし は かの郎従等多くは康政か時に》 《割書:つけさせ給ひし兵ともなりけれは康政か家ほろひなは将軍家に|めしかへさるへきよしをはかりけるゆへとそ聞えける郎従等既に》 《割書:康勝か子なきよしを申ければ彼平十郎をばかたいなかなる所に|かくしをきしを後に肥後守忠廣つたへきゝ 康勝か子ありし事を》 《割書:大に悦ひ将軍家へ 披露あるべきよし議せられしかど郎従等が|謀あらはれてかれらか罪のかれかたきのみにあらす家の為にも》