翻刻
【右丁】
仰かうふるかゝる所に同廿七日康勝の毒腫わつらひ出し年
三十六歳にて俄に死す 両御所大に驚かせ給ひ郎従等を
めして康勝か子やなかりしと尋られし其つゐてに若江
にてなと合戦にはおよはさりしと宣ひしに郎従等かしこ
まつて井伊木村すてに戦をあはすと見て康勝か手の者
とも同しくすゝみ戦んとす藤田能登守信吉康勝と共に
これを制す信吉さる兵と承るいみしき謀やあるらんと存
せしに敵つゐにやふれしかは軍にはあはす康勝いまた年
わかしつよからん謀にことしたかふべけれと存せしに身の
煩しき故にや信吉と心を合てすゝみえすされは天王寺の
【左丁】
合戦には随一の郎等伊藤忠兵衛まつさきに討死し手の者
こと〳〵く命を捨て戦ひし事先日の恥を雪かんがためなりき
かゝる煩ある身なれはにや家つくへき子とても侍らすと
申す大御所此よしを聞しめし頓て信吉めして
御糺問あり終に康勝か郎従等とうつたへ おこりて
みつから御裁断にそ及ひける《割書:康勝加藤肥後守清正か娘|に相具しけれとそれには》
《割書:子なくして妾のはらに 男子一人あり 平十郎と云しかるに|郎従等子なきよしを申せし は かの郎従等多くは康政か時に》
《割書:つけさせ給ひし兵ともなりけれは康政か家ほろひなは将軍家に|めしかへさるへきよしをはかりけるゆへとそ聞えける郎従等既に》
《割書:康勝か子なきよしを申ければ彼平十郎をばかたいなかなる所に|かくしをきしを後に肥後守忠廣つたへきゝ 康勝か子ありし事を》
《割書:大に悦ひ将軍家へ 披露あるべきよし議せられしかど郎従等が|謀あらはれてかれらか罪のかれかたきのみにあらす家の為にも》