翻刻
【右丁】
崎等の寺僧徳川殿に恨申事ありて故の吉良義昭を
大将になしたて軍勢を催しをのか院々寺々にたてこもるかの
檀越のごけに御家人等かれにくみする者八百余人三郎右衛門尉忠次は
此時は佐崎の辺にしのひすむ戸田一門の人々は徳川殿に
年比の不快也とて先上宮寺にむかへいる《割書:戸田むかし徳川殿をとり|まいらせし時忠次年十八才》
《割書:一門の少者也そのはかり|ことにあつかるへからす》忠次すてに上宮寺にこもりて徳川殿の
御勢と戦ひ一日のうち高名の槍三度に及ふ《割書:此時忠次大久保|七郎右ヱ門山田八蔵》
《割書:等と槍をあわせしよし徳川殿井伊兵部少輔に御物語ありしと云按るに》
【左丁】
《割書:大久保と槍あはすへき 程なし思ふに 大久保との戦ひはむかし田原の|いまたほろひずして 徳川殿とたゝかひありしときの事にあらすや》
徳川殿忠次か彼寺にありと聞し召やかて御使を賜て
忠次かゝる時節におよんではまつさきに参るへき身の何のゆへ
にか御敵に候はんと 仰下されしかは仰謹て承りぬと申て
城中の人々にむかひ忠次今日岡崎にまいるへきよしの御使を
たまひつら〳〵事の情を案するに忠次もとより徳川殿に
むかひて恨申へきいわれなく又此寺の檀越にもあらす只人々の
招く所にしたかつてこそ此城中にはこもつたれ詮する所彼
仰に随つて御方に参らんと存す忠次岡崎に参らんにおゐ
ては此城の案内はよくしりぬ一定攻やふつて参らすべし