翻刻
【右丁】
奉てかしこにとゝまり守りし事万治元年に至る
《割書:権御城代と|申せし也》ふたゝひ守る事 万治三年より寛文元年に
至れり年四十七歳にて寛文八年七月晦日卒す
男長門守元永父につき後丹波守になる
【左丁】
戸田 田原
土佐守藤原の尊次は三郎右衛門尉忠次か二男也忠次は先祖
弾正左衛門尉宗光か代より三河国田原今橋二連木等の城を
領して当国に威をふるひ《割書:詳なる事は松平丹波守|康長の伝に見ゆ》そのゝち子孫打
つゝき永禄のころほひすてに本領を失ふ《割書:三遠記に元禄九年田原へ|むかいたまひ戸田吉兵衛》
《割書:降参すやがて本多豊後守して守らせらるとしるせり此説のことくな|れは田原をは徳川殿のためにほろほされしなり外に見し所なけれは》
《割書:本文には|のせす》庄左衛門尉光忠西三河に落ゆき終に 鴫原に
してうち死す 三郎右衛門尉忠次は此庄左衛門尉光忠か男也
けり《割書:光忠田原にあり宗光か曽孫にて 左近時政か子なり兄弾正|少弼康文かあとをつきしよしを申すなり詳なる事をしらす》
かくて永禄【録は誤】六七年の際三河の国野寺 佐崎土呂針