翻刻
【右丁】
櫓より忠次士卒を下知する 声を聞て 大音あけ戸田
殿さきのくわうげんに合せて ゆゝしうも候かなさらは鉛弾一ッ
参らせんといひもあへず忠次か甲の真向鉄炮にあてられて
うつふしにどうと伏す案内者すでにかくの如くなれは
酒井か軍兵 戦ふに及はす 忠次を肩にかけて引返す
甲よけれはくだけずやゝあつていき出ぬ徳川殿御感
有て御刀を賜《割書:国光の|御脇刀》そのゝち蜂屋と《割書:半之烝【ママ】|親周也》槍をあはする事
凡両度土呂の大将馬場小平太を討《割書:三遠記に出す|十二月の事也》明る永禄
七年の六月吉田の城を攻られし時高名しぬ《割書:すいかゐといふ所|にて槍をあはす》
同八年三河国大津の村を賜《割書:七百|石余》九年十二月馬武者廿騎
【左丁】
つけらる《割書:三河の野田村にして寄騎の|給料弐千三百石を充行る》又戸田藤田なといふ侍五人
所領賜て忠次に属らる《割書:戸田兵右ヱ門同九右ヱ門同与五右ヱ門|藤田佐兵衛同弥七郎等なり》元亀二年
七月遠江国浜名の住人徳川殿にそむき城をさつて
武田にくみす忠次本多百助と同く御使を承りかしこに
行むかふ此所の士を二ッにわかつて戸田本多につけらる忠次か
手に属する者十余人忠次また浜名の地を加賜《割書:三百|石》同三年
十二月三方か原の戦に味方利を失ひ忠次徳川殿に随ひ
とつて返し〳〵戦ふて五度におよひ浜松の城に至て菅沼
小大膳定利と共に外郭を守る天正二年五月長篠の合
戦に忠次か嫡男三郎九郎忠清生年十七歳よき敵と