翻刻
【右丁】
くんて首とる忠次か手の兵おの〳〵高名をあらわす同き
八月九日 諏訪の原の戦ひに三郎九郎忠清うち死す同き
八年五月駿河国遠目の御陣より帰りたまひしをてき
持舟の城より出て御後を襲わんとす忠次等かえし
合て追はらふ九年十二月高天神の城落し時忠次か手の
勢一方を攻やふり《割書:的場|郭》首七ッ切ッて献す十二年尾張の
小牧の御陣には忠次大野の城をまもり小浜《割書:民|部》間宮
《割書:酒之|丞》千賀《割書:孫兵|衛》向井《割書:兵|庫》等とおなしく伊勢の国をしつめんとて
九鬼右馬允嘉隆と小浜といふ所に 戦ふ忠次の手の者
さきがけして敵の勢を打破りぬ 十八年の春相模の国
【左丁】
小田原にむかひ給ふ時忠次植村庄左衛門とおなしく御陣の
先をうつて下る 同き四月二日 御勢箱根の山を越ん
とす徳川殿忠次を御前に召出して汝後陣にあつて
軍勢を下知すへしと仰られ忠次仰を承りて後陣に
さふらふ人々あるひは当家の大名なり誰か忠次の下知に
したかふへき御免あれと辞し申《割書:此時の後備は 松平三郎太郎殿奥|平九八郎信昌 高力保科等なり》
徳川殿汝か申所理至極せりさらは是執て下知せよとて
執らせ給ひし御麾を賜ふ忠次三度押いたゝき後陣の人
々にむかつてかく〳〵も是にて仰をや聞せ給ふらん忠次か身
人々の御勢下知せん事その憚すくなからすたゝし御代官の