翻刻
【右丁】
しるしとしてこれを賜候うへは辞し申さんに詞なきかことし異
儀を思ひたまわんする人々は只今御所存を承るへきに候とて
御麾執て見せけれは人々いかて忠次の下知にそむく事か
候へきとて皆首を地につけられける同き廿一日関東の諸城
こと〳〵く降らんとす武蔵の江戸の城は遠山左衛門佐景政
か領する所也景政小田原の城にあつて舎弟河村兵部大輔
をとゝめて守らしむ景政か甥同しく丹波守真田隠岐守と
共に徳川殿に志を通しけれは忠次仰を承りゆきむかひ
かれと謀て此城をとることし関東に移らせ給ひしかは
此城つゐに御座とは成てけりことし八月忠次伊豆国
【左丁】
下田の地を賜ふ《割書:五千石○一説に此時甲斐の郡内の地を給ふへきよし 仰|けれとも 忠次ねかふ所にあらすと申そのゝち 伊豆の国下田》
《割書:を給ふへきよし望みけれは悦はせ給ひ下したまふといふ按するに関東に移|らせたまひしのちは甲斐国は御領にあらす関白殿の御領となりて加藤》
《割書:遠江守に給りき つたふる所あやまれるかことし もし甲斐の国御手に|入りし時の事にや関東へ入らせ給ひし時の事ならんには 外の地なるへし》
此後よはひすてにかたふきけれは致仕しおのか所領に籠り
居り文禄の初 朝鮮の事 起て 同き二年三月の頃
ほひ徳川殿かの国にわたり給ふへしなと聞えしかば
ことし正月肥前の国名古屋にまいる徳川殿悦はせ給ふ事
浅からす太閤聞し召及はれ徳川殿の御陣にならせ給ひ
し時忠次幷に高木主水清秀弐人を御前に召れて
年来の戦功をかたり出させ給ひ此度の参向をかんし