翻刻
【右丁】
至りてこそ 人々口惜しき事におもひたれ《割書:榊原か伝合せ|見るへし》
明れは慶長六年二月近江国大津の城は要害よろし
からす勢田にうつして一西にたふへしとて国々の大名に
課て膳所か崎に城を築かる奉行八人をつけて択を
日に継て催されし程に功すてに成しかは所領あまた
付て一西にそ賜ける《割書:三万石領す○按るに此城は当家|天下をしろしめす最初にきつかれし所也》一西此城に
ある事三年にして卒し子息左門氏鉄父につく大坂
の軍起りし時大御所都にのほらせ給ふと聞て矢橋の
浦まて御船をまいらせて御膳をすゝめ奉る我身は仰を
承て此城にそとゝまりける元和二年摂津国尼か崎の
【左丁】
城に移り《割書:五万|石》寛永十一年七月十六日従四位になされ同き
十一月美濃国大野の城にうつる《割書:十万|石》同き十五年の春肥前
国島原の逆徒追討の御使として松平伊豆守 信綱と
共に駈むかつて九国の軍勢を下知して攻ほろぼす
同十八年八月三日 若君御誕生ありしかは 氏鉄仰を蒙て
御竹刀を献る慶安四年十一月廿八日 致仕入道して常
閑と号し明暦元年二月十四日七十九歳にして卒す
嫡子采女正氏信父につき寛文七年十二月廿八日従四位
下に叙し同十一年七月十八日致仕剃髪して一閑と号《割書:ス》
嫡男左門氏包【西の誤ヵ】ゆつりをうく其子采女正氏定といふ