伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・下) - 翻刻

藩翰譜(四・下) - ページ 20

ページ: 20

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【右丁】 父の後を嗣せらる《割書:新次郎年十三歳にや 此時水野 下野守信元より牧野か家老共|に贈られし状をみるに新次郎 此ほとは質子として駿河の》 《割書:今川の元にありし也 十二年の冬 氏真駿河国をうしなふにおよひて本領の地にかへりたる|へし○世の伝ふる所三河国の牧野はむかし平家の侍讃岐の国の住人 阿波の民》 《割書:部重能か嫡男田内左ヱ門教継【ママ】か後胤たり 平家ほろひて 本領の地をう|しなひその子孫の当国に来りすみしを牧野と申せしといふなり》 《割書:此説のことくなるならは 牧野もと田口姓なり いかなるゆへによりて|此流には源氏と称しぬらん 詳なること をしらす又 三河物語に》 《割書:享禄のはしめ 次郎三郎殿吉田の城をせめられしに牧野伝蔵伝次新蔵|新次兄弟四人戦死して 城とられしといふ事あり康定の家代〳〵その》 《割書:初名を新次郎といひしかは 伝蔵か事 の後にやあるらんされと伝蔵|の後人いふ所のことには新三 新二の事つまひらかならす吉田の城に》 《割書:戦死せしものともの事 伝左衛門尉 父子三人幷に新二 新三と しるせし|ものゝあれは 新次 新三 弐人は 伝左ヱ門か子とはみへずといふなり》 《割書:おもふにこれらたゝその一族にしてまさしき兄弟也といふにはあらさる|へし又創業記によるにはしめ牧野古拍入道 今ばしの城にありて》 《割書:田原の戸田と 心よからす 今川治部太輔氏親 戸田をたすけて|今橋の城を攻む永正三年十一月城やふれて 牧野入道 腹きつて》 《割書:死す城をは戸田ぞとりたりける 古拍か子伝三成人のほとふたゝひ|城をせめとりてうつりすみ東三河の地を併す享禄五年五月》 【左丁】 《割書:伝三伝二兄弟次郎三郎殿のために戦死して城また陥る これまた|牧野か族伝兵衛尉景益岡の城にありて 岡崎表に 心をあわせ》 《割書:しか故なりしかはやかて伝兵衛尉してその城を 守らしめるそのゝち|天文六年戸田また伝兵衛か家人戸田新次郎同宗兵衛尉とこゝろを》 《割書:あはせて今橋の城をとる同き十年 今川また その地をせめとりて|小原肥前守して 守らしむ永禄十 牛窪 牧野新次郎を始て》 《割書:東三河のものとも 徳川殿のみかたに属して 八年三月ついに今|はしの城を攻とられぬ 今橋とは のちに吉田の城といふとなり》 《割書:○慶長中 伝蔵か孫 伝三成里等家人にめされて叙爵し|伊予守に任す この流のこときはすなはち田口をもつて 始とす》 新次郎すてに成人の後御諱の字賜て右馬允 康成と申す 天正三年《割書:時に二十|三歳か》長篠の合戦の時酒井 左衛門尉忠次と共に 鳶巣の 要害を責おとすことし 遠江国 諏訪の原の 城おつ牧野の城と名をかえて 康成に賜ふ《割書:松平周防守とともにまもれり家忠日記増補を按るに|康成にたまわりしはしるさねともすてに》