翻刻
【右丁】
えすみかたはむなしく引て帰る同き九日小諸の城に御陣
をうつさる本多佐渡守正信申すにつきて くし(本ノママ)ぜるに
上田の城さきかけしすてに城にせめのほりし兵大久保
相模守牧野右馬允康成弐人か 郎等まつすみやか
に誅すへきよしを仰下され新次郎忠成是を聞て高名
したらん兵を誅しなんに此後誰有てかはる〳〵しき
軍をもせめ又郎等か主のためにいのちを捨てるめつらしからす
主か身なと郎等かために捨さらんいさうれ汝とてかの郎等
引具して冥に逐電す《割書:郎等をは性|掃部と云也》父の康成かふふりて
上野国吾妻に蟄居せり同九年若君御誕生の事
【左丁】
ありて《割書:大猷院殿ことし|御降誕ありし也》康成父子御ゆるしを蒙りて本領を
安堵す同き十四年十二月十一日康成卒《割書:ス》五十五歳子息
駿河守忠成《割書:新次郎|か事也》父につき大坂前後の軍に将軍家の先
陣し首廿七をきつて献る元和四年越後国長岡の城に
移《割書:七万四|千石》寛永十七年七月廿二日従四位下にのほり年七十二
歳にして承応二年十月十七日卒《割書:ス》嫡子大和守光成
早世しけれは嫡孫飛騨守忠成を世継とす《割書:祖父忠成わが名を|ゆつりしとなり》
忠成祖父につきて延宝二年五月廿七日とし四十歳にて卒《割書:ス》
其子駿河守忠辰つく
内膳正源武成は駿河守忠成か二男越後国与板の地を