翻刻
【右丁】
はしめよりする駿河の国府にとゝまらせたまひし若君《割書:三郎殿|御事》
うしなはれ玉ふへしと聞ゆことし 三月久松佐渡守俊勝
松井左近忠次を大将として 今川随一の家人鵜殿
長助か《割書:名は孝景としるせる|あり又長昭とも有》こもつたる三河国西郷の城をせめ
らる忠次人をして要害よく見おほへて 忽におそひせめ
し程に鵜殿たまりかねて城をは徳川殿にまいらせ其身は
駿河に帰らんと望むさらばとてゆるされたり忠次兵をみちに
ふせて鵜殿か二人の子をいけどる氏真ふかくなけき給ひ
三郎殿を返しまいらせて鵜殿か子を乞かへさる忠次ゆゝしく
謀りけると御感斜ならす 同き六年吉良義昭再ひ叛く
【左丁】
忠次亀千代丸の代官として幡豆郡に要害をかまへ東条の
城を攻落す忠次に東条の城を加給ふ同き十二年正月今川
氏真遠江国掛川の城に籠り給ひしを攻らる同き廿二日の夜に
入てかたき天王山の御陣を襲へしと聞へけれは忠次大久保大須賀
の人々出むかつて戦ひ夜すでに明ぬれ共勝負はいまだ決せす
忠次か郎等岡田《割書:竹右|衛門》石川《割書:新兵|衛》石田《割書:与|市》なと云一人当千の兵すゝみ
戦て終に敵をうち破る元亀元年六月姉川の合戦に忠次
弓手の腕を鞍の前輪に射つけられ従者して矢をむかせその
矢を以其敵を射殺す同年九月織田殿の加勢として近江
の国にをもむき佐々木か多勢をうち破り同き三年三方か原