翻刻
【右丁】
の戦に東条の者ともひきゐ戦ひ天正三年五月長篠の
戦ひに鳶の巣の要害をせめおとすことし八月遠江国
諏訪の原の城をとされて宗徒の人々をめされて抑此諏訪
の原の城は高天神の通路にて田中の城をさることわつかに
大井川の水をへたつ敵のかならすあらそふへき所当国第一の
要害也誰か我ために此城を守らんとは思ふと仰らるゝに
大事の所なれは望み申人さらになしやゝあつて忠次すゝみ出身
不省には候へとも御ゆるしを蒙らんには忠次此所にとゝまり守
り候はんやと申 徳川殿大きに悦給ひ御姓字をゆるしたまはる
松平周防守康親とめされ当国樽木河尻七百貫の地加へ
【左丁】
給ひ諏訪の名をあらため牧野の城となつけ牧野右馬允康
成におゝせて康親とおなしくとゞめられ又普代の御家人壱人
ッヽ康親康成に添られたり《割書:天正三年八月同き十年の三月也|こゝをまもられ武田終にほろひし也》同き六月
高明の城もおつ諏訪の原の残党皆小山の城にこもれりと聞へ
て又小山をも攻らる酒井左衛門尉忠次とゝめ申せしかと康親ひとり仰に
随て石川伯耆守数正と共に二人先陣を給てをし寄武田四郎
勝頼二万余騎にてうしろ巻しける程に御勢をはかへされたり四年
三月十七日松平甚太郎家忠《割書:すなはち|亀千代丸》幷ひに周防守康親駿
河国山東の地半を賜ひ半をは今川氏真にまいらせられ親康
して今川の家の事をそ執せらる《割書:去る天文の末今川氏真武田か為に|駿河国をうしなひ遠江国掛川の》
【右丁 頭部欄外】
一説康親に
松平をゆるさ
れしは永禄
六年東条の
地を給ひし時
の事也と云さ
もありぬへし
哉天正三年より
先ノ世に松平
左近将監と
しるされしもの
あり又天正の初
上杉謙信へ松
平左近将監
貞泰といふ人
を御使につかは
されたる事慥
に所見有その
時二人の松平左
近将監あるべ
からすされば
貞泰といふは
康親の初の名
なるべし然らは
【左丁 頭部欄外】
牧野の城のと
きには御諱の
字を給われる
事と覚ゆる也