翻刻
【右丁】
《割書:やがて卒せしにや詳なる|事をいまたしらす》其子孫太郎延貞いとけなく
して家をつき万治三年十二月廿八日 叙爵して
若狭守に任す
【左丁】
土岐
山城守源定義は故山城守定政か男美濃国の源氏土岐
左衛門尉光信か後胤也《割書:其家の系図に光信はしめて美濃国土岐郡に|住せしより子孫につたへて名のるといふ世にいふ》
《割書:所は光信か孫美濃守光衡|美濃源氏土岐の祖也といふ也》光信か五代孫伯耆守頼貞建武の頃
尊氏将軍に属して本領を按堵す頼義十一代の孫兵部
太夫定明か時に至て当国の乱に所領を失ふ《割書:或説に定明美|濃の乱に戦死》
《割書:せしは天文廿一年の事也といふ心得られす織田の信長美濃国を併せられし|は天文十二年より 十三年にいたる間の事なりといふ也 されは定明》
《割書:か戦死の事 廿一年に はあるへからず もし 本領を失ひしのち|他国にありて戦死せし事 天文廿一年にあるかいまた詳ならすと云》
山城守定政は定明か男にて美濃国多【両は誤】芸郡に生れ童
名は愛菊丸といふ生年二才にして父におくれ母方の舅三河