翻刻
【右丁】
国額田郡の住人菅沼常陸介か許に人となりて十四歳の時
徳川殿にめされて菅沼藤蔵と申けり《割書:はしめ土岐と名のらさりしは|養父の氏を称し又明智か》
《割書:親戚たる事を|憚りしか故也と云》十七歳にして軍始し一生の高名数をしらす三方ヶ原
の戦に御方ちり〳〵に成て御馬に随ひまいらせし人多からす定政
三宅弥次兵衛正次二騎ちつともはなれす敵をふせきまいらせて
定政返し合て戦ふ事度々郎等つゐに敵の多勢にわつて入
一騎をきつて其首とつて駈まいる《割書:此時傍輩の馬にはなれしか定政か馬|の後にのらんとせしをゆるさすけふもし》
《割書:われをたすけのせさらむとかぬしか日頃の高名むなしかるへからすと|いはれて重政馬の頭を敵の方に引むけていさふれのれとて馬の後》
《割書:にのせてはせ帰るこれ又|定政か高名と成しと云》持舟の戦に重政はしたしかりし水野
彦九郎 敵二騎と戦てうたれぬ定政是を見て馬を駈て
【左丁】
敵二騎をきつて落し其首をきつて水野か首をば取返しつ
甲斐国にして北条と戦ひし時定政鳥居彦右衛門元忠と同く
小山の要害を守つて左衛門大夫氏勝か多勢をうち破る北畠殿を
たすけ給ひ尾張の小牧に御陣をと成し時 定政敵の廻文持し
者とも三人を生捕て進られしに其謀あらわれき かくて
長湫に御馬をむけられし日或人とゝめまいらせてけふの御合戦
然るへからすと申定政御前にまいりけふの御合戦あらすして
いつれの日をか待へしとて 従兵一人召具して御先をかく池田
か勢の進むを見て従者二人鑓を取て敵をうつて進む敵
三騎つき落し従者又一騎をつき首四ッをきる郎従はせ来り