伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・下) - 翻刻

藩翰譜(四・下) - ページ 35

ページ: 35

翻刻

【右丁】 つゝく敵と散々に戦ふ程に御勢もまたよせ合て終に池田は 破れてけり戦すでに終りし後 御陣を小畑にすへられて敵の様 を見せらる御使はせ帰て敵すてによせ来りぬと申かさねて定政 を召れて敵のやうを見せらる定政一騎敵陣に馳入り縦さま 横さま馬をはせ思ふ様に見おほせて馳帰り敵みなかふとをぬき 晩食し候ひぬいかて只今よせ来るへき一定暮なはよせ来る 事候へしいそき御陣を小牧に移さるへしと申ある人又こゝにて 待て戦はん事然るべしと申徳川殿定政か申処その謂ありと 仰られやかて御陣をうつされたり案のことく秀吉の大勢 はせ来りすてに御陣をうつされしと聞て手をむなしくして 【左丁】 引返す定政か此度の功すくなからすとて寄騎の侍三十六騎を 属せられ其後小田原の御陣の時又定政か手に穴山衆をそ属 られけり関東に 移らせ給ひしかは下総国関宿の城を守らせ られ相馬郡にして所領の地を賜ふ《割書:一万|石》文禄年中叙爵し 本姓に改て土岐山城守と申せし慶長二年四十七歳にて 卒すその子山城守定羲父につき将軍家に仕へ慶長十七年 四月大番の頭となり元和三年摂津国高槻の城を給ひ《割書:二万石|按るに》 《割書:城主譜に此時にあらたに 城を修したまひし と云々|又按するに定義もとのまゝにて大番頭のうちに卒せしとみゆ》同き五年に卒し 嫡男 山城守頼行いまたいとけなかりしによつて下総国相馬郡 にうつされ成人の後叙爵し寛永の五年出羽国上山の城を