翻刻
【右丁】
つゝく敵と散々に戦ふ程に御勢もまたよせ合て終に池田は
破れてけり戦すでに終りし後 御陣を小畑にすへられて敵の様
を見せらる御使はせ帰て敵すてによせ来りぬと申かさねて定政
を召れて敵のやうを見せらる定政一騎敵陣に馳入り縦さま
横さま馬をはせ思ふ様に見おほせて馳帰り敵みなかふとをぬき
晩食し候ひぬいかて只今よせ来るへき一定暮なはよせ来る
事候へしいそき御陣を小牧に移さるへしと申ある人又こゝにて
待て戦はん事然るべしと申徳川殿定政か申処その謂ありと
仰られやかて御陣をうつされたり案のことく秀吉の大勢
はせ来りすてに御陣をうつされしと聞て手をむなしくして
【左丁】
引返す定政か此度の功すくなからすとて寄騎の侍三十六騎を
属せられ其後小田原の御陣の時又定政か手に穴山衆をそ属
られけり関東に 移らせ給ひしかは下総国関宿の城を守らせ
られ相馬郡にして所領の地を賜ふ《割書:一万|石》文禄年中叙爵し
本姓に改て土岐山城守と申せし慶長二年四十七歳にて
卒すその子山城守定羲父につき将軍家に仕へ慶長十七年
四月大番の頭となり元和三年摂津国高槻の城を給ひ《割書:二万石|按るに》
《割書:城主譜に此時にあらたに 城を修したまひし と云々|又按するに定義もとのまゝにて大番頭のうちに卒せしとみゆ》同き五年に卒し
嫡男 山城守頼行いまたいとけなかりしによつて下総国相馬郡
にうつされ成人の後叙爵し寛永の五年出羽国上山の城を