翻刻
【右丁】
織田備後守信秀に随ひ小豆坂の合戦に今川の兵にくむて馬
上より落かさなりて首をきる信光しきりにめされてふたゝひ小川の
城に帰るその後石か瀬の合戦の時一日のうち七ヶ度まてさきをかけ
其後又石ヶ瀬の戦に石川伯耆守康昌等と鑓を合す是等の
高名かそふるにいとまあらす三河国一向専修の門徒徳川殿に叛
き参らせし時信光加勢して戦ひ給ひし時清秀徳川殿に見参
す永禄七年清秀か先祖の知田三河国大岡の地にあると聞えて
徳川殿より安堵の御判を下さる姉川の合戦の時信光に随ひて
高名し天正二年の秋織田殿伊勢国長島を攻られしに嫡子
善次郎光秀と同しく高名し其後又浜地蔵の合戦に御方
【左丁】
うちまけて小川刈屋の勢も又破れんとす清秀すゝんてさきをかく
織田殿はるかに御覧してこゝに御方のさきをかくるは清秀也もの共
つゞけやつゝけ下知し給へは御方つゝきて馳向ふ清秀まつさきに進み
敵と戦て首を取長篠の合戦に高名して疵蒙り天正四年の
秋大坂の門徒河内国十七ヶ所に楯籠る信長彼を攻たまふに
此程は信光うたれ給ひ小川刈屋の勢は佐久間右衛門尉信盛か
手に属す秀吉関白いまた木下藤吉と申せし時まけいくさ
せられしに佐久間は清秀か謀に随ひて其敵を打破る信貴の
城を攻られしに高名し荒木か城を攻られしに舎弟甚太郎清方
次男内膳一吉等とさきかけす其後又信光の舎弟和泉殿の