翻刻
【右丁】
《割書:へき宗光もしは長寿まりしにや田原を|きつきしは明応より猶まへの事にあらすや》其男弾正忠憲光田原に
あり同国今橋《割書:今の|吉田》の住人牧野入道古拍とたかひに地を争ふ
今川治部太輔氏親《割書:義元の|父なり》戸田をたすく永正三年七月
駿河国をたつて同き八月廿六日今橋の城におし寄せ
攻戦ふ事六十余日牧野終にうちまけて腹切て死す氏親
今橋の城をもつて憲光につけらる憲光田原二連木今橋
等の城をあわせ領す憲光か嫡男左近尉政光二連木にあり
二男金七今橋にあり《割書:此事創業|記に出ツ》牧野入道か嫡男伝蔵蔵人
の後ふたゝひ今橋の城をせめとり享禄二年五月廿八日安祥
二郎三郎殿と戦て《割書:清康十九|歳の御時》牧野兄弟うたれし後天文六年に
【左丁】
至て戸田ふたゝひ今橋を襲とる同き十九年終に今川の
為に攻とられぬ政光か嫡子弾正少弼康元田原の城にあり
《割書:はしめ岡崎の贈大納言家 水野殿の御娘をむかへ給ひ徳川殿をまうけさせ給ひ|しかと右衛門大夫殿うせ玉ひ嫡子下野殿今川にそむきて織田備後守信秀》
《割書:にくみせられしかは岡崎殿北の方をは下野殿へ送りかへし給ひける戸田弾正少弼の|娘を迎給ふされとも岡崎の本城は若君しらせたまふべき 所なればとて》
《割書:新城にむかへ入給はんとありしによつて事すてにやふれぬへかりしかは|ついには新城にむかへ給ひ《割書:戸田か不快これらの事|よりおこりしにや》いく程なくて岡崎との今川》
《割書:の加勢こふて 織田と軍せんとて わか君を駿河の国へまいらせたまふ|を戸田織田と 心をあわせて 道にてわか君をとりまいらせて尾張の国に》
《割書:出しまいらすと云々此徳川殿をとりまいらせし戸田諸説まち〳〵也大久保か|三河物語伊束法師三河の記には弾正少弼殿としるせり創業記には弾正少弼》
《割書:一男孫四郎か所為とすしかるを紀伊殿の考異には 一説に弾正としるし|給へり家忠日記増補には 戸田五郎とあり 三遠記と いふ書には》
《割書:弾正か子五兵衛とりまいらす此人は宗光か子憲光か弟 後に庄左衛門と|いひし人なりと注せり 大田山中か 徳川記といふには政光としるす》
《割書:○按するに戸田の家代〳〵 弾正と いひしなり 弾正左衛門尉|宗光寛正六年に 上洛せし事 親元日記にみへたり 爰に》