伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・下) - 翻刻

藩翰譜(四・下) - ページ 7

ページ: 7

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【右丁】 《割書:おなし御年譜考異等によれは丹波守といふ事 治定か 大久保か|記には因幡守とあり 伊束法師か記にも戸田因幡守と見へたり》 《割書:おもふに丹波因幡草書の文字似たるゆへに書写の誤まれるにあら|すや系図にも 因幡守は 見へす此説のこときは丹波守 戸田入道事》 《割書:か時徳川殿にしたかひまた御家号をも ゆるされし也 三遠記に|いはく戸田主殿助に 御家号をゆるしたまひ後に主殿助死して》 《割書:子なけれは弟 弾正か子をやしなふて これを丹波守とす御諱字|下されて康長と申せしと云々 家忠日記増補にも主殿助初て》 《割書:徳川殿にしたかひ奉るよしをのせたり是等の説のこときは丹波守か|子主殿助 徳川殿にしたかひ御家号ゆるされし 又三遠記のことく》 《割書:なれは後の 丹波守 康長か父の弾正は主殿助か 舎弟也○上の両説を|あわせ按するに丹波守主殿介父子一同に徳川殿にしたかひまいらせし》 《割書:なるへし御年譜に此年永禄七年二月の下に戸田丹波守 二連|木の城を給て 服し奉り 二連木 口 の棊をまもりて 今川と》 《割書:戦ふと云々 同き五月十三日 戸田主殿助に地を加へ玉ふ吉田の|戦ひに功有事を賞せられし処也と云々 これ父子一同に御味方に参り》 《割書:し証にあらすやあるひは丹波守としるしあるひは主殿介としるすと|いへ共俱にこれ一時の事也たゝし 母をぬすみ出せしといふは》 《割書:主殿介たること 治定にや主殿介か父丹波守は弾正少弼 康光か|嫡男たれはその母永禄七年のころまて 世になかろふへしとも》 【左丁】 《割書:おもわれす 又御家号ゆるされし事もその家の 系図を見れは|丹波守康長か時に賜りしやうに見ゆる也不審○又按するに家忠》 《割書:日記増補に永禄七年五月十三日戸田主殿介 母をぬすみいたし|二連木にありて吉田の城に 兵を発してついに小原と戦ひ死すと》 《割書:ありいかなる よりところあるにや 御年譜と 大に異なり 又同しき|天正元年の下に 戸田孫六郎康長十六歳とのせたり これ》 《割書:すなわち丹波守康長か事也康長天文九年に十六才なる時は|養父主殿介か戦死したりし後一年をへたてゝ 永禄九年に》 《割書:生れし也いかて康長か生れさる前によつきとさたむる事あらんや|その外の書に 主殿介小原と戦死せし事 いまた見す三遠記》 《割書:に主殿介か御方にまいりし年に 本多彦八郎忠次か 伊奈|より岡崎へ通るとて吉田をせむへきはかりことをおもひより》 《割書:て先陣をのそみしかは戸田主殿介をそえてむかはしめられ|しとしるせりこれすなわち御年譜に見えし主殿介吉田の》 《割書:たゝかひに功ありしと|いふ時の事成へし》主殿介死して康長つく《割書:童名虎|千代丸》天正 九年二月高天神の城を攻らる康長いまた孫市郎と 申て生年十六才みかたの人々攻あくんたるを見て《割書:的場郭といひ|しところなり》