翻刻
【右丁】
徳川殿に参り康長御ゆるしをかふふる 攻取てまいらす
へしと望み御ゆるしを蒙て手の兵に下知し真先に進み
火を放ちて攻入程にたちまちに攻やふりぬ《割書:武家補任を按るに|康長寛永九年十二月》
《割書:十二日卒す六十一歳と註す しかれは 天正九年には 十一才の時なり|天正九年に十六歳と いふ事は 家忠日記の説也 日記によれは》
《割書:卒する時に六十八歳成へし|草書あやまれるにや》これを高名のはしめとして
所々の戦功数をしらす成人の後 徳川殿の異父
同母の御妹を給て妻とせり《割書:久松佐渡守俊勝|第三のむすめ也》関東に移らせ
らるゝ時武蔵国東方の地を領す《割書:一万|石》関ヶ原合戦の時先
陣に加つて軍し曽根の要害を守し大柿城をおとす
慶長七年下総国古河城を給て移る《割書:二万|石》同十四年七月より
【左丁】
同き十六年七月に至て伏見の城を守る其守り怠らざりし
賞として下野国皆川の地をそ賜《割書:創業記に出ツ何程|賜はりしも知らす》明る十七年
六月常陸の笠間城に移る《割書:三万|石》大坂の兵起しに将軍
家の先陣たりふたゝひ兵起し時 大御所の御陣に随て
軍す首十四きつて献る 元和三年信濃国松本の城に移
《割書:二万石一説|に七万石》寛永三年八月十九日従四位下にのほり同き九年
十二月十二日卒《割書:ス》《割書:卒の事は|前の注に見ゆ》其子加賀守忠光早世しけれは孫の
佐渡守光重祖父か家をつぎ寛永十年播磨国明石の城に
移《割書:六万石一説には|本の如く七万石》其後丹波守となつて同き十六年十一月
美濃国加納の城に移《割書:七万|石》明暦二年大坂の城守るへき由を