伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・下) - 翻刻

藩翰譜(四・下) - ページ 8

ページ: 8

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【右丁】 徳川殿に参り康長御ゆるしをかふふる 攻取てまいらす へしと望み御ゆるしを蒙て手の兵に下知し真先に進み 火を放ちて攻入程にたちまちに攻やふりぬ《割書:武家補任を按るに|康長寛永九年十二月》 《割書:十二日卒す六十一歳と註す しかれは 天正九年には 十一才の時なり|天正九年に十六歳と いふ事は 家忠日記の説也 日記によれは》 《割書:卒する時に六十八歳成へし|草書あやまれるにや》これを高名のはしめとして 所々の戦功数をしらす成人の後 徳川殿の異父 同母の御妹を給て妻とせり《割書:久松佐渡守俊勝|第三のむすめ也》関東に移らせ らるゝ時武蔵国東方の地を領す《割書:一万|石》関ヶ原合戦の時先 陣に加つて軍し曽根の要害を守し大柿城をおとす 慶長七年下総国古河城を給て移る《割書:二万|石》同十四年七月より 【左丁】 同き十六年七月に至て伏見の城を守る其守り怠らざりし 賞として下野国皆川の地をそ賜《割書:創業記に出ツ何程|賜はりしも知らす》明る十七年 六月常陸の笠間城に移る《割書:三万|石》大坂の兵起しに将軍 家の先陣たりふたゝひ兵起し時 大御所の御陣に随て 軍す首十四きつて献る 元和三年信濃国松本の城に移 《割書:二万石一説|に七万石》寛永三年八月十九日従四位下にのほり同き九年 十二月十二日卒《割書:ス》《割書:卒の事は|前の注に見ゆ》其子加賀守忠光早世しけれは孫の 佐渡守光重祖父か家をつぎ寛永十年播磨国明石の城に 移《割書:六万石一説には|本の如く七万石》其後丹波守となつて同き十六年十一月 美濃国加納の城に移《割書:七万|石》明暦二年大坂の城守るへき由を