伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(一) - 翻刻

藩翰譜(一) - ページ 38

ページ: 38

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【右帖】 ひかえたまひ信康か弟の候をけふ見参に入候はゝやと宣ふ ふかくうらみいきとをりたまふ御気色見へけれは此 うへは見参なくては事あしからぬと思しめされ徳川殿 再ひ御座につかせ給ふ三郎殿やかて於義丸殿の御手 引て参り給ひちかふ渡り給へとありしほとに 御ひざのうへにかきすへたまひしかは三郎殿悦はせ給ふ 事斜ならすかくても猶重次か許にひとゝなり たまひける 三郎殿うせたまひて後は徳川殿此殿の ましますをたのもしき事に思し召 天正十二年冬 豊臣秀吉北畠殿につきて御子壱人養君とし奉る 【左帖】 へきよしを申さる徳川殿異父同母の御弟三郎四郎殿を のほせ給ふへしと有しに御母上ゆるさせたまはねは 力なく於義丸殿のほらせ給ふへきに定り此とし 十二月の末 大坂におもむかせたまふ秀吉ふかく悦ひ やかて元服の義行なわれ 羽柴秀康と名乗らせ 河内国にて所領参らせ《割書:一万|石》明る十三年七月十一日 みつから関白したまふ時秀康朝臣御年十二なるを 四位の少将兼三河守になさる抑関白守殿を養君と したまひし事はさりし天正十二年の春より 北畠殿と軍起りしに 徳川殿 信雄の方人せさせ