翻刻
【右帖】
ひかえたまひ信康か弟の候をけふ見参に入候はゝやと宣ふ
ふかくうらみいきとをりたまふ御気色見へけれは此
うへは見参なくては事あしからぬと思しめされ徳川殿
再ひ御座につかせ給ふ三郎殿やかて於義丸殿の御手
引て参り給ひちかふ渡り給へとありしほとに
御ひざのうへにかきすへたまひしかは三郎殿悦はせ給ふ
事斜ならすかくても猶重次か許にひとゝなり
たまひける 三郎殿うせたまひて後は徳川殿此殿の
ましますをたのもしき事に思し召 天正十二年冬
豊臣秀吉北畠殿につきて御子壱人養君とし奉る
【左帖】
へきよしを申さる徳川殿異父同母の御弟三郎四郎殿を
のほせ給ふへしと有しに御母上ゆるさせたまはねは
力なく於義丸殿のほらせ給ふへきに定り此とし
十二月の末 大坂におもむかせたまふ秀吉ふかく悦ひ
やかて元服の義行なわれ 羽柴秀康と名乗らせ
河内国にて所領参らせ《割書:一万|石》明る十三年七月十一日
みつから関白したまふ時秀康朝臣御年十二なるを
四位の少将兼三河守になさる抑関白守殿を養君と
したまひし事はさりし天正十二年の春より
北畠殿と軍起りしに 徳川殿 信雄の方人せさせ