伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(一) - 翻刻

藩翰譜(一) - ページ 39

ページ: 39

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【右帖】 たまひしを毎度軍に利をうしなひ徳川殿と戦ん事 叶ふへからすと思ひ返し終に信雄と中直りす これひとへに徳川殿にしたしうならんか為なれば 彼御子養ふて徳川殿にも見参せんと謀らる されは徳川殿かの望みに任せらるへしとも聞えされは 守殿うしなはれたまふへきと風聞す徳川殿此由を 聞し召はしめ秀吉か望によつて我子あたへぬ彼 今は秀吉の子にこそあれ家康か子に非す秀吉の 子殺さんに家康なにと思ふへきと驚かせ給はす 秀康の御母は《割書:お万殿のちに|長勝院と云》深く是を歎き此上は都に 【左帖】 のほりとにも角にも守殿とこそ一処になるらめとて 迷ひ出たまふに村田意竹入道かひ〳〵しく御供して 都にのぼり守殿の御館に入参らす同き十三年の 十二月北畠の使として羽柴下総守勝雅土方勘兵衛 雄久徳川殿に参り殿は関白殿と年頃の御恨あるにも 非す一旦信雄かとのみ参らせしによつて御合戦は 及ひき信雄たに既に関白殿と中直りしつ然るに 信雄か故をもつて両家なかくあた結ひたまはん 事返す〳〵もなけき入りぬあはれ東西御和睦有んには 信雄か幸ひ何事か是に過んやと申さる御許容の