伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(一) - 翻刻

藩翰譜(一) - ページ 41

ページ: 41

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【右帖】 御妹君と【を】徳川殿の北の方に参らせらる此うへは 関白に見参あるへしと聞えしかは御家人等か心を安ん せんか為都に御逗留のほと其国にとゝめさせ給へとて 大聴を下したまひしによつてやかて都に登りたまひ 十五年の春三河守殿御年十四歳関白殿と共に筑紫に 渡り一方の大将にて日向国を平らけ十六歳の御時 伏見の馬場に出て馬めされしに殿下の御厩の預り 守殿とあらそひて馬をはせすこふ【ぶ】る無礼に及ければ はせ違ひさまに御刀をぬいて首ちうに打落し給へは こゝにありあふ関白の御家人等狼藉出来ぬとひしめく 【左帖】 守殿馬かけすへはたとにらまへやあいかに殿下の御家人 たらん者か秀康とあらそふて馬はせかつは無礼を いたすへきやうやはあるあしうふるまつてかた〳〵も あやまちし秀康恨むなと給【仰】けれは恐れてちかつく ものあらす関白殿此よしを聞し召秀吉か子に向て無礼 せんやつ其罪死に当れりあつはれ秀康は心剛なる のみならすはやわざも人にすくれたれなど却て御感に 預り給ふ上は何の御咎めもなし同き十八年の春下野国の 大名結城左衛門督晴朝家人多賀谷安芸使として 晴朝年既に五十に余りていまた家嗣すべき男子