翻刻
【右帖】
御妹君と【を】徳川殿の北の方に参らせらる此うへは
関白に見参あるへしと聞えしかは御家人等か心を安ん
せんか為都に御逗留のほと其国にとゝめさせ給へとて
大聴を下したまひしによつてやかて都に登りたまひ
十五年の春三河守殿御年十四歳関白殿と共に筑紫に
渡り一方の大将にて日向国を平らけ十六歳の御時
伏見の馬場に出て馬めされしに殿下の御厩の預り
守殿とあらそひて馬をはせすこふ【ぶ】る無礼に及ければ
はせ違ひさまに御刀をぬいて首ちうに打落し給へは
こゝにありあふ関白の御家人等狼藉出来ぬとひしめく
【左帖】
守殿馬かけすへはたとにらまへやあいかに殿下の御家人
たらん者か秀康とあらそふて馬はせかつは無礼を
いたすへきやうやはあるあしうふるまつてかた〳〵も
あやまちし秀康恨むなと給【仰】けれは恐れてちかつく
ものあらす関白殿此よしを聞し召秀吉か子に向て無礼
せんやつ其罪死に当れりあつはれ秀康は心剛なる
のみならすはやわざも人にすくれたれなど却て御感に
預り給ふ上は何の御咎めもなし同き十八年の春下野国の
大名結城左衛門督晴朝家人多賀谷安芸使として
晴朝年既に五十に余りていまた家嗣すべき男子