翻刻
【右帖】
なくたゝひとりの娘あるに《割書:実は晴朝の孫女にて一族水戸但馬守|か娘これすなはち忠直卿の御母也》
あはれ殿下の御一族をたまはつて聟君としわか家を
譲らばやと望む関白悦はせたまひて於義丸を下す
へしと仰有しに使者申次の人に近つきて何れの御事に
わたらせ給ふにやといひしに関白殿大きなる御声にて
秀吉か子になん条疑ひか有と仰られしかはつゝしみて
仰承て下る今年関白殿北条を打ほろぼしまづ
守殿を結城の館へ入まいらせみつからも彼館に至り
とゝまらせたまふ事三日を経て奥に下らせ給ふ同き
八月六日晴朝守殿に家譲らる《割書:是より結城殿と申し|十万千石の地領せらる》
【左帖】
文禄の初より朝鮮の事起る肥前の名護屋に陣し
同三年結城に帰又伏見大坂に御館構て移りすみ
其後参議に任し太閤薨し給ひし後宗徒の大名
石田治部少輔三成を討んとす徳川殿人々を制し給ひ
三成職解てをのか城に籠居すへきに極まる猶路の辺
覚束なしとて守殿して送られしかは三成難なく近江
の国佐和山の城に入此年九月徳川殿重陽の賀をせられんか
為に大坂に至らせ給ふ大坂の家人相はかつて失ひ申さん
との結構ありと告申もの有此時守殿伏見の城に留守
せさせ給ひ伊奈図書して御家人等こと〳〵く参らせ