翻刻
【右帖】
らるへきよし仰遣さる御家人等もあへす鞭鐙を
合て馳参る大番の侍六番かその内二番は既に御供に
参る残る所の四番をも皆参らせらるへきと有しをは
守殿留おかれて御運かたふかせたまはんにはたとへ何
百万騎を参らすともかなはせたまふへからすもし
御大事あらんにはかくこそ仕へけれと思ひて大番の
侍をは参らせぬそとて御勢配のやうを一人々にかきしるし
伊奈にたまひて返されたり 徳川殿あつはれ三河守は
父には生れ勝りけりと御感浅からす明年の秋徳川殿
奥の景勝中納言御誅伐の時に上方の早馬来て大坂の
【左帖】
兵起りぬと申す御方の大名小名小山の御陣にあつまつて
軍評定すまつ此処より引返して上方に向はせ給ふへきに
議定す徳川殿本多佐渡守正信を召れ家康西に向はん
時景勝やかて跡を追ふて攻上るかさらすは又関東にや
乱れいらん誰か此所に残りとゝまつて軍をはすへきと
仰らる正信誰とか更に申へき守殿にしく事やあるへきと
申さらはめせとて召守殿御参り有るに正信むかへ参らせて
いかに殿天下の安危はけふに決し給ひぬ能心して物申
させたまへと申て御跡にしたかつて御前に参る徳川殿
東西の軍の事御物語あつて後おこと我為に此処に