伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(一) - 翻刻

藩翰譜(一) - ページ 45

ページ: 45

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【右帖】 出て抑此鎧は家康か若かりしより身につけてつゐに 一度の不覚を覚へす父か佳例に准へて今度奥方の 大将してよき軍し天下に名をあけ給ふへしとて参らせ らる守殿も御心地よけに御いとま申させ給ひ下野の国 宇津宮に陣取て関東を鎮めたまひしに上方の軍破れて 後景勝も降を乞ぬれは伏見に参りたまひけり此度の 勧賞に越前国賜つて明る慶長六年の五月福居の城に うつりたまひぬ《割書:六十七万石を領したまふ○按するに守殿宇津宮ゟ|江戸にいらせたまひそれより伏見に参りたまひ》 《割書:越前を賜て伏見より越前へ入らせたまひし也|北庄をあらためて福居と名つけ城きつかれし也》其後従三位中納言に いたつて同き十二年閏四月八日御年三十四歳にて世を 【左帖】 はやうしたまひぬ 参議中将忠直卿は中納言殿の御嫡子童名は長吉丸 父の御跡継せたまひ慶長十六年の春将軍家の御前にて 元服あり御諱字たまはらせ給ひ四位の少将兼三河守に なさることし九月将軍家第四の姫君を北方に参らせられ 越前の国におもむかせたまふ《割書:勝姫君と申時に御年|九才一説に十二才共申す》同しき 十七年の冬越前国に事起て以の外に騒動すまつ 十月十九日家老久世但馬守罪かうふつて本多多賀谷 うつての大将承てをし寄戦ふ寄手討るゝもの二百余人 久世か一族郎等百五十人枕を並へて討死す 明れは七日