翻刻
【右帖】
出て抑此鎧は家康か若かりしより身につけてつゐに
一度の不覚を覚へす父か佳例に准へて今度奥方の
大将してよき軍し天下に名をあけ給ふへしとて参らせ
らる守殿も御心地よけに御いとま申させ給ひ下野の国
宇津宮に陣取て関東を鎮めたまひしに上方の軍破れて
後景勝も降を乞ぬれは伏見に参りたまひけり此度の
勧賞に越前国賜つて明る慶長六年の五月福居の城に
うつりたまひぬ《割書:六十七万石を領したまふ○按するに守殿宇津宮ゟ|江戸にいらせたまひそれより伏見に参りたまひ》
《割書:越前を賜て伏見より越前へ入らせたまひし也|北庄をあらためて福居と名つけ城きつかれし也》其後従三位中納言に
いたつて同き十二年閏四月八日御年三十四歳にて世を
【左帖】
はやうしたまひぬ
参議中将忠直卿は中納言殿の御嫡子童名は長吉丸
父の御跡継せたまひ慶長十六年の春将軍家の御前にて
元服あり御諱字たまはらせ給ひ四位の少将兼三河守に
なさることし九月将軍家第四の姫君を北方に参らせられ
越前の国におもむかせたまふ《割書:勝姫君と申時に御年|九才一説に十二才共申す》同しき
十七年の冬越前国に事起て以の外に騒動すまつ
十月十九日家老久世但馬守罪かうふつて本多多賀谷
うつての大将承てをし寄戦ふ寄手討るゝもの二百余人
久世か一族郎等百五十人枕を並へて討死す 明れは七日