翻刻
【右帖】
弓木左衛門腹切て死す寄手討るゝ者三十余人上田隼人
竹島周防自害して一族郎等をたすく是は故中納言殿
うせたまひて後宗徒の家人等二ッになりて確執やむ
事なく本多久世弓木牧上田岡部竹島なといふ七人
の家老罪蒙り岡部伊予此由をうつたへんとて関東に
趣く守殿驚きたまひ清水丹後今村掃部して岡部をは
召かへさるされ共互の争論やむ事を得す岡部又牧主殿と
打つれて関東に参る彼いかに思ひけん道より高野山に
おもむき入道すこゝにおゐて久世弓木討れ上田竹島腹
切て死す本多伊豆守富正は彼七人の随一なりしかと罪
【左帖】
ゆるされて人質をたまひし上は久世かうつ手の先陣を承りき
此時大御所関東にわたらせたまひしかは閏十月廿日召符
を下され本多清水等関東に召れ十一月廿八日両御所
みつから本多伊豆守清水丹後今村掃部を召決せられ
十二月三日将軍家御裁断あつて清水今村遠流に処せられ
《割書:今村は奥州伊達政宗に預けられ|清水は岩城鳥居左京亮あつかる》かの国務伊豆守富正たすく
へきよしを仰下さる十八年の三月うつたへふたゝひ起て家人等
又関東に参る同六月両御所仰けるはかく国中のしつか
ならさる事ひとへに三河守か年いまた若かりしか致す所也
今より国務の事富正か沙汰たるへしとて富正か一族