伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(一) - 翻刻

藩翰譜(一) - ページ 48

ページ: 48

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【右帖】 《割書:家人永見右衛門尉と申は父は中務といひ母をは池鯉鮒殿と申て大御所の|御いとこのよし申せし也されは右衛門尉母と共に彼家に仕へて後は一万七千石の》 《割書:地を領すかれか廿四歳の時中納言殿うせ給ひしかはめいとの御供仕らんとて|腹切て死す其子をも右衛門とそ申しける此頃三河守殿御子ほしからせ給ひしに》 《割書:ある人永見か母は子すてに持ちて年いまた若く然も美人の聞え有|いかさまにも召るへき事や候と申頓て御館に参るへしと御使たつかの母》 《割書:大に歎きあはれ我夫は弓矢とる身の習ひなれはさはかり惜かるへき命君に|参らせしたとへわれ子なくして只ひとり住む身なり共いかて再ひ》 《割書:よの人に見ゆべきましてかく父か家つく子ありいかにおもてなく御館には参るへき|かゝるうき事きくもみつからなをさまかへぬとが也けりとかみそりこぼして尼》 《割書:になる守殿此よし聞し召わか仰にしたがはさらんやつには思ひしらすべき|事ありとて其子右衛門誅せらるへきにきはまる永見か手の兵はせあつまりて》 《割書:かの家にたてこもるさらは軍兵をさしむけ攻やぶつて一人ものこらずかうべを|はぬべしといかりたまひしかは御家人等東西にはせちがひ南北にかけ廻りて》 《割書:上を下へとひしめく本多丹波守大におとろきかくてはたゝ此国の災のみに|あらす事隣国に聞えなはもつての外の大事也とてうつ手の人々かたく》 《割書:せいして我身ひとり永見か家にゆき向ふ永見か家子郎等本多殿はよひ|かたき此人を打取て御はらめされんは寄手何十万騎を討給ひしよりも》 《割書:猶まさるへしと長刀ひつさけて出んとす右衛門をしとゝめ兵の事ゆめ〳〵|しかるへからす此人を助け置てこそ我罪なきよし世にも披露はあるべ》 【左帖】 《割書:けれとて対面に及ふ本多なにとかいひたりいひたりけんその日より永見か家の守りに|おこたりけり年すてに暮てあすは元日といふ夕へになりぬれは彼手の》 《割書:者共年むかふへきいとなみにをのか家〳〵に帰りぬ時こそよけれといふまゝに|ひとかふと二三百騎をしよせさん〳〵に攻め戦ふてこと〳〵くに打取りぬ》 《割書:そのゝち三位中将殿の時に永見か家ほろほすへからずとて豊後にて生れ|たまひし御弟二人なから永見と名のらせ彼家をつかせらる此外にも》 《割書:かゝるたくひ|猶ありし》将軍家にも故中納言殿の御事を思召かつは 聟君にておはしませはいかにもして彼心のあらたまり給ふ やうに思し召わつらはせたまへ共月にまし日にまさりて悪行 は超過しぬれとよき事は聞えす此上は力なしとて元和九年 五月十二日豊後国萩原といふ所に流されて竹中采女正 重次に預らる《割書:五千石をつけらる重次は|当国府内の城領したり》頓て入道せさせ給て 一伯と号し給ふ此処も猶人近しとて今の所よりは