翻刻
【右帖】
三里余をへたてたる津森といふ所に移され給ひぬ此後
重次も罪あつて誅せられしかは《割書:寛永十一年|の事なり》日根織部正
守明預人となり廿五年の春秋を配所の月に詠めわび
慶安三年九月十日と申に御年五十六歳にてむなしく
ならせ給ひけり 御子多くおはします嫡男仙千代丸越後
三位中将殿の御事也其次は高松殿の御息所其次は九条
関白道房公の北の政所是皆大相国家の《割書:台徳院殿の御事|後皆これにならふ》
御外孫これより下は皆配所にてまうけたまひし所也
兄は永見市正長良弟は同大蔵長頼と申し二人なから
三位中将殿の御家人となる今壱人は彼家の老小栗美作
【左帖】
正矩か妻なりけり
三位中将光長卿御父忠直卿の御事有し時わつか十才に
なりたまひしに越後国にうつされて高田の城を御座所と
定めらる《割書:二十四万石に高田殿の御領|二万石すべて廿六万石余》是より御母上を高田殿とそ
申ける寛永元年六月仙千代殿をつれまいらせ関東に下り
たまひ同き十二年二月廿一日にかくれさせたまひけり仙千代殿
御成人あつて寛永六年四月廿三日将軍家の御前にて
元服し御諱の字給ひ四位少将兼越後守になされ慶安
四年十二月廿五日三位の中将になされ其男徳千代丸
承応二年十二月廿一日元服御諱字給ひ綱賢と