翻刻
【右帖】
して大輔になり延宝二年五月六日光通朝臣の家をつき
《割書:四十七万五千石を領す本領の内五万石|兄中務太輔か領のときし故也》同十二日兄の中務太輔昌親
か嫡子仙菊丸を養ふて子とすことし侍従になされ同
四年十二月廿一日に国をゆつる其子従四位下侍従兼
越前守綱昌童名は仙菊丸実は中務太輔昌勝の男
叔父昌親の養子となつて延宝三年十一月廿三日元服し
御諱字給ひ叙任の事あり同き四年十二月廿一日譲り
をうく中務太輔昌勝童名は仙菊丸忠昌卿の二男なり
松岡の地をわかち領す《割書:五万|石》慶安三年十二月廿六日叙爵寛文
三年十二月廿八日従四位下して太輔となる
【左帖】
備中守直堅童名は権蔵越前守光通朝臣の男也いかなる
故ありけん成人に至りぬれと父子の対面に及はさりけれは
越前国を忍ひ出て一族但馬守直良を頼て関東に下る
程なく父の朝臣卒して後直良故越前守か男たるよしを
うつたふる旨ありしかは延宝三年五月十八日将軍家に
めされことし十二月叙爵し同五年十一月三日録下し賜ひぬ」
左少将直政朝臣は中納言殿の第三の男御母は家の女房
中納言殿越前の国賜て伏見の御館よりかどてし入都し
たまひし時近江の中河内といふ所にて生れ給ひけれは
河内丸と名つけ越前に入給ひて国松丸とあらため